真犯人への呼掛け

今井亮一

 

 
 あれからもう23年目になります。1975年12月20日の夜9時25分頃、新潟県の山奥の津川という小さな町を、あなたは冷凍車(または保冷車)で通過しましたね。

 そのとき右前輪に、続いて右後輪に、大きなショックがあったでしょう。暗かったのでわからなかったかもしれませんが、あなたは、泥酔して国道の中央に寝込んでいる男性をひいたのです。

 それからあなたは、直角に折れるクランクを抜けましたね。抜けた先に、道路右側に駐車していた1台のクルマがあったのを憶えていますか?

 そのクルマの人が、すぐにあなたと反対方向へ走り出し、第一発見者となりました。被害者は即死しており、頭部から流れ出した血が湯気をあげていたそうです。

 あなたが運転していたのが冷凍車だというのは、その第一発見者がそう証言しているからです。事件直後の緊急配備検問の記録にも、冷凍車という記載があります。当時、あなたのそばまで捜査の手は迫っていたのではありませんか?

 しかし、あなたが米軍への乳製品輸送に携わっていたせいか、そのあたりはわかりませんが、警察は別の人を犯人に仕立て上げました。たまたまあなたの何分か前に現場をとおりかかった、事件当時20歳の木訥な青年、遠藤祐一さんです。

 新聞は、警察の発表どおり、ひき逃げ事件の犯人が捕まった、遠藤が犯人であると報じました。遠藤さんの家には、匿名の嫌がらせがずいぶんあったそうです。

 あなたとしては、そんな根も葉もない濡れ衣はすぐに晴れると思ったことでしょう。実際、遠藤さんを犯人だとする証拠は、どれもこれもデタラメでした。

 けれど日本の検察は、警察のメンツをつぶすことを嫌うのです。検察官は遠藤さんを新潟地裁に起訴しました。無実の青年が、人をひき殺した被告人として、法廷に立たされることになったのです。

 いくらなんでも裁判官なら無実を見抜けるはずだと、あなたは期待したでしょう。もちろん、遠藤さんが犯人にでないことを示す証拠は山ほどありました。たとえば、遠藤さんのトラック(平ボディで空荷)の右後輪から不可解な過程で発見されたシミが、被害者の血痕だとされたのですが、予備試験でも本試験でも人血ではあり得ないという鑑定が出されました。仮に血痕だとしてもそんな位置には付着し得ないという鑑定もありました。

 ところが、日本の裁判官は、検察のメンツをつぶすことを非常に嫌うのです。新潟地裁・東京高裁と続けて、遠藤さんは有罪を宣告されました。禁錮6月執行猶予2年。第一発見者の冷凍車証言も無視されました。

 遠藤さんはもう何も信じられなくなり、自殺さえ考えたそうです。

 しかし、「私はやってないのだ」と勇気を奮い立たせ、最高裁に上告しました。真実だけでは勝てないことを思い知らされていたので、夏も冬もまさに全国を行脚して、「公正な裁判を求める」との署名を21万名も集めました。そういう旅費も含めた裁判費用を稼ぐため、きつい仕事をしながら、です。

 89年、最高裁の判決が出ました。普通、新たな証拠があったりして原判決が怪しければ、最高裁は原審に差し戻すのですが、本件では、すでに出ていた証拠を調べただけで「これを無罪としなければ著しく正義に反する」と、最高裁自らが無罪を言い渡したのです。

 20歳のときの事件で、34歳まで被告人という立場におかれ、口では言えない苦労を味わってきた遠藤さんは記者会見で、「これまでの苦労が涙になって出てきました」とボロボロ泣きました。ニュースで見て、あなたも泣いたのではありませんか?

 そうしていま、遠藤さんは、今度は国家賠償訴訟の原告になっています。「ずさんきわまる起訴をした検察官、おそらくは無実と知りつつ有罪判決を書いた新潟地裁、東京高裁の裁判官らを、どうしても許せない!」と、彼らの個人責任を問う裁判を起こしたのです。

 よく似た冤罪はたくさんある、これほど明白なケースでさえ裁判官の責任を問えなければもうお先真っ暗だと、なんと650名を超える弁護士たちが代理人として名を連ねています。空前絶後のことです。けれど、日本の裁判所(官僚のなかの官僚)が自分たちの仲間の責任を認めるはずがなく、苦戦しています。

 そこで、あなたにお願いがあるのです。

 本件はすでに時効が成立しています。犯人探しの段階をすぎ、日本の裁判に正義を取り戻せるどうかの問題になっているのです。長い間、心に背負ってきた重荷を、どうかここで降ろしてもらえませんか。

 あなたが名乗り出れば、国賠訴訟の行方は劇的に変わるでしょう。「あの裁判官らに責任を取らせたい。二度と冤罪をくり返させたくない」という遠藤さんの悲願を、かなえてあげてください。プライバシーは守ります。とりあえず私にご連絡いただけませんか。

1998年5月

r-chang@fb3.so-net.ne.jp(今井亮一)