
|
遠藤 祐一(えんどう ゆういち)
宮城県警岩沼署警官二人が勤務先に車をみにきた時、私と上司、同僚数人が立ち合ったが何も発見されませんでした。しかし、公判廷において証人警察官は、本人立合いのもとに確認(黒いシミ)させたと嘘の証言をしました。取り調べにおいては、本当はまだ人血鑑定もしないうちに、警察官から被害者の血がタイヤについているのだから事故に気がつかなくても君が犯人だと言われ騎されてしまったのです。道路の状況説明では、消雪パイプにタイヤが乗り上がった時、若干ハンドルがとられるといったのが、調書には被害者を轢いた時のショックでハンドルがとられたと記載され、冬だからヒーターで喉が乾いたと言ったのが、風邪気味と記載されました。 調書を読み聞かされている途中に訂正を求めても最後まで読んでからにせよと言われて黙って聞いているしか術がなかったのです。最後まで読み終えてから訂正を申し立てると、タイヤに被害者の血がついているのをどう説明するのかと迫られ、答えに窮すると訂正をしようとしません。それどころか調書の最後には、「私が轢きました。申し訳ありません。後日被害者の家族にお詫びします。」と書いてあったのです。何度も訂正を求めたが、付着している血の説明が出来ないので取調官は応じてくれませんでした。 私が絶対の信頼をおいて臨んだ新潟地方裁判所で、あろうことか警察の不法捜査に追随して起訴した検察官が、第一発見者の車種形状に対する記憶(調書)を当時私が運転していた車両の形状に沿う形の調書に取り直したり、私にはアリバイがあるにもかかわらずそれを無視し続けたのです。東京高等裁判所も検問に従事しない警察官を検問した警察官と誤った認定をするなど、一審裁判所以上にひどいもので、私を完全に犯人にしようとしていました。 「控訴棄却」。二審の判決をうけたその夜は悔しくて涙を抑えることができませんでした。 最後の砦である最高裁判所は「石の砦」と聞いて背筋が寒くなるのを感じた。それでも私の「無実」を信じてほしいから、最高裁の裁判官を信じざるをえませんでした。「最高裁で負けたらどうしよう・・・・・」犯人にされてしまう恐怖心が自分の中に住み付いてはなれない。最高裁は公判も開かれない。蛇の生殺しのような毎日が五年にも及んだのです。 二〇歳で事件に巻き込まれ、無実判決を勝ち取ったのは三四歳でした。これで刑事裁判は終わった。これからは自分の人生を楽しく過ごそうと思いました。失った一三年の青春時代をなんとか取り戻そうと思いました。しかし人間ひとり身体ひとつでできることには限界があります。被告人という肩書を背負って暮らした一三年の辛さは決して忘れることのできない、言葉では言い表せない重圧でした。 一般市民ですら私の無実を理解して信じて支援をしてくれたのに何故、一審、二審の裁判官は理解できなかったのか、理解しようとしなかったのか、私を犯人にするための暗黒裁判であったとしか言いようがない。彼らに責任を取らせることが本当の意味での刑事裁判の終わりであり、人を裁く裁判官は自らをも裁くべきであり、責任をとるべきが筋です。 そしてこのような誤った裁判が二度と繰り返されることのないよう、私たち市民一人ひとりが警察、検察、裁判所を監視していかなけれぱなりません。各方面の力を結集させてこの裁判を勝利し、市民を守る法体制を手にするために、起訴検察官と一審、二審裁判官と国の責任を追求すべく国家賠償訴訟に踏み切りました。今一度のご支援を切にお願い申し上げる次第です。
|