遠藤国賠ニュース

第45号(控訴審第25号) 2000年6月18日(日)

 

 
News23の取材を受ける、前回弁論後のミーティング
話しているのは、遠藤さん
News23の取材を受ける、前回弁論後のミーティング

控訴審弁論傍聴記

 今回の弁論傍聴記は、遠藤国賠の長年の支援者であり、傍聴の常連さんであるS.Mさんにお願いしいました。

[ガヴァガイ]

 「遠藤国賠、次回は7月19日か。僕はこの裁判の傍聴は何度目になるのだろう。そろそろ10回位になるのかなぁ。」などと思っていたところへ、当支援する会の"主任傍聴人"兼広報担当である寅次郎さんからの電話。「次回の遠国ニュースの傍聴記を書いてよ。」

 今までず〜っとお願いされても、それをお断りし続けてきたのですが、今回、傍聴記なるものを書かせていただくことになりました。

 しかし、前回5月15日の第15回口頭弁論は、「原告側と裁判所」とがいつものようにやり合う場面(「原告と被告」ではありません)がまったくなく、表現を変えると、国側を裁判所が明らかに助けることに原告側が抗議する場面が全くなく、原告代理人の阿部弁護士の弁論が淡々と行われ、その後次回期日を決めて終了となってしまい、「傍聴記」として書く素材に困ってしまいました。

 そこで、今回初めて傍聴された方に御感想をお聞きしたり、これまでの傍聴記をパラパラと読んだりした結果、今回は傍聴記ということを離れ、この裁判で行われている不可解さを中心に書くこととしました。専門的な解説については他の詳しい方にお願いしたいと思います。

 前回の遠藤国賠ニュース第44号で、遠藤国賠初傍聴の亜細亜大学学生O.Hさんから寄せられた傍聴記で「(次回)期日指定でも議論が及ぶことのある裁判もあります。」との記述がありました。「通常の裁判」はそのような議論が行われることが確かにあります。僕も、そのような裁判を傍聴したことがありました。しかし、いくら思い返してみてもこの遠藤国賠訴訟に関しては、少なくとも僕の傍聴したかぎりでは、「次回期日に関して議論となった」という記憶がありません。何度かこの裁判を傍聴しているうちに、遠藤国賠においては次回期日に関して議論が無いことが当たり前のような気になっていました。しかし、他の裁判と比較してみると、このことは非常に素直な疑問だと改めて気がつきました。

 実は、この点だけを見ても、この裁判の長期化している理由の一端を伺うことができます。

 裁判では、一方が何かしかの主張をしますと相手方はその主張に対する反論をするのが通常です。当事者が交互に主張・反論をやり合うわけです。これを民事訴訟法では「口頭弁論」といっています。大雑把に言うと、この口頭弁論という方法でお互いに主張や反論を出し合うことによって、争うべきもの、つまり「争点」が明確になり、その争点について「どちらの主張が正しいのか?」を裁判所が判断するのです。ですから、本当は原告(遠藤さん側)が主張したことに対して被告(国側)は、できればその場で、または遅くとも次回期日までに原告の主張に対する反論をしなければならないはずなのです。これが原則です。

 もっとも実際の訴訟の場面では、訴訟を迅速に進めるために、次回主張する側が次回期日前までに、「準備書面」と呼ばれる次回期日に主張しようとすることを書いた書面を、裁判所と相手方に対して前もって提出します。そして反論する側はその準備書面をもとにしてそれに対する反論を書いた準備書面を提出することによって次回期日に口頭弁論が行われるのです。

 このように予め提出することによって相手方は「次回にどのような反論をすべきか?」という準備をすることができることになります。そうすると、次回期日では主張と反論を一回の期日で行うことができるのです。その結果、我々の税金を使って運営されている「裁判」というものを早期に終わらせることができるというような仕組みになっているのです。

 法律ではこの他にもさらに、「裁判というものが不必要に長くなることがないように」という考えから、色々な制度を設けています。

 ですから本来であれば、この遠藤国賠においても、仮に原告側が「**日までに準備書面の提出ができる」となれば、そこから相当な期間(反論としての準備書面を被告が作成する期間)の後に、次回期日を決めるとなるはずなのです。ですから、前回O.Hさんの御指摘の通り、毎回毎回争いもなく次回期日が決まる、というのは本当はおかしいのです。

 では何故、遠藤国賠では通常の裁判とは異なるやり方で行われているのでしょうか?

 5月26日大阪地裁で、「裁判官への任官を拒否されたこと」を理由とする国家賠償訴訟の判決がありました。原告敗訴の判決でした。また、皆さんも御記憶にあることと思いますが、以前、沖縄の代理署名の裁判もありました。さらに、先日「東電OL殺人事件」で一審で無罪との判決が出たにも拘わらず、再び身柄を拘束されてしまった外国人の裁判がありました。そして、遠藤さんの刑事事件での1・2審の裁判、および今進行中の遠藤国賠です。これらに共通するものは一体何でしょうか?

 お気づきのように一方は共通して「国家権力」です。我が国において、国側は「国が間違いを犯すということは絶対に無い!」との考えをあくまでも貫こうとしています。言葉を恐れずに言えば、そのように「演出」し、「そのために個人が不利益を被っても仕方がない」と考えているのです。これが、「国家権力vs個人」となったときの「前提」です。このような状況の中、個人もしくは国民にとって、最後の拠り所となるのは「人権の砦」と学校で教わった「裁判所」ということになるはずです。

 しかし多くの場合、現在の裁判所というものは「国家権力の違法・不当な行為を正当化するための機関」として機能しています。なぜなら、国家権力を負けさせるような判決を出すと、裁判官自身が実質的な不利益を被ることが分かっているからです。我々が学校で習った「三権分立」などというものはタテマエにすぎません。

 ですから、この遠藤国賠においても、裁判所としては「国側勝訴」を前提に、その条件を満たす範囲で訴訟を運営しているものと僕は考えています。また、そのように考えてみることによって初めて、これまでの裁判所の訴訟の運営方法(「訴訟指揮」といいます)や発言の理不尽さをすっきりと理解することができ、スジが通っていると思えるのです。

 非常に分かりやすいことが以前ありました。こういうことです。原告側が被告に対してある質問をしました。それに対して、被告が答える前に裁判長が、「(以前に)被告は**と言っているのですから、いいじゃないですか」と、間髪入れずに答えたのです。被告はその時なにも言っていないというのに・・・。

 本来、憲法の要請からすれば、いえ、憲法なんてものを持ちだすまでもなく、「裁判所が公正でない」という現状は、絶対に許せません。おりしも前述の「任官拒否裁判」において、大阪地裁は「裁判官というものは、公正らしさが求められる」という趣旨のことを判決で言いました。裁判官は、「公正」のみならず「公正らしさ」までもが求められる立場にあるとのことです。

 では、これまでに遠藤国賠の裁判を傍聴したことのある方で、「うん、この裁判は『公正』だ。しかも『公正らしさ』も十分だ」と思われた方がおいででしょうか?

 このニュースが皆さまのお手許に届く頃は、衆議院選挙の直前でしょう。

 先日、「日独裁判官物語」という映画を観てきました。映画の内容には触れませんが、そのときに挨拶をされたある弁護士の方は、「政権交代が行われなかったことが、今日の状況を招いた」という趣旨のことを述べられました。同感です。例えば、薬害エイズ問題は、あの時に自民党でなかったからこそ、国民に厚生省のでたらめぶりが明らかにされたのでしょう。大蔵省を始めとする中央省庁の無軌道ぶりが表面化したのも根本は同じでしょう。

 我々は、一応「民主主義」という社会で暮らしています。しかし、果たして本当に民主主義はきちんと国民のために機能しているのでしょうか?(そう言えば「民主主義の誤作動」などと無礼な発言をした建設大臣もいましたが・・・。)

 民主主義というものは、その国の一人ひとりができる範囲で能動的に参加し活動していくことによって、初めて機能していくものです。非常に面倒くさいものだとは思います。しかし、面倒だと思ってあまり関心を示さなかった結果が現在の官僚汚職であり、連日の警察官の不祥事であり、多額の借金なのです。与党の不法行為にお墨付きを与えている裁判所とて決して例外ではあり得ません。

 刑事事件1・2審において、遠藤さんは不幸なことに辛酸を舐めることとなりました。しかし、「このようなことは今後は絶対に起こらない」などと果たして言えるのでしょうか?

 遠藤さんは当時、轢き逃げ事故があったその場所を事故の起こる「直前に」たまたま通っただけです。このことは、最高裁判所も認めています。刑事1・2審の裁判官・検事も、証拠や当時の状況から、遠藤さんが犯人ではないことを認識していたことが証拠上明らかです。にもかかわらず、「当時遠藤さんを犯人と決めつけてしまったかもしれないが、それはやむを得なかったのだ。だから最後まで国側の過ちを認めるわけにはいかないのだ。責任をとる必要はないのだ」というのがこの遠藤国賠に対する国側の態度なのです。

 事故直前に轢き逃げの現場を通るということは、ドライバーであれば誰にでもありうることでしょう。つまり、明日にでも遠藤さんの立場に誰もがなりうるのです。少なくとも、この事件に関してはドライバーであれば「自分には関係のない事件だ」ということはあり得ないのです。

 では、僕を含めて皆さんが遠藤さんの立場とならないようにするにはどうすればよいのでしょうか?

 やはり、この裁判で遠藤さんに勝訴してもらうことが重要です。短絡的と思われるかも知れませんが、遠藤さんを応援することが同時に、それぞれ御自分の身を守ることに繋がる一助にはなるはずです。これは、当会代表の今井さんがおっしゃる「不断の努力」(憲法12条)でもあります。

 次回の口頭弁論期日は7月19日です。梅雨の終わりの頃で、雨が降るかも知れません。しかし、そのような時こそ「国民はこの裁判をしっかり見ているぞ!」という姿勢を裁判所に対して示しましょう。そして、裁判所が本当に公正に行われているかを、ご自分の目でお確かめ下さい。

[S.M]  



控訴審弁論要旨

●遠藤さんはどうして署名押印しちゃったのか

 検察官が有罪証拠として提出してきたのは、血痕と肉片・布目痕という物証の二本柱と、遠藤さんの「異常走行体験供述」という三本目の柱であった。

 「時速約40キロメートルで進行中急に車の進行状態が、後から何かに車を引っ張られるように、スムースであった車の進行がにぶったような感じがした。そして急にハンドルが取られ車の後ろのほうがバウンドした状態になり、私の身体が少し浮き上がった。進路も急激に変わり、5・6メートルくらい進行する間に、1メートルくらい左側に移動した」という供述である。

 ではなぜ、無実の遠藤さんはこの供述が書かれた調書に署名押印してしまったのだろうか。

 それは、取調べ警察官が「右後輪に被害者の血液がついていた」とウソをついてのサギ的取り調べを行い、遠藤さんを陥れたからである(法律で禁じられている「ぎけい偽計による取り調べ」)。岩沼署で発見された19×20センチ大の黒いシミ(いわゆる「右後輪付着物」)がフルに活用されてしまった。

いわゆる右後輪付着物
いわゆる右後輪付着物

 取調べ当初、無実の遠藤さんは、身におぼえがなかったので事故との関係を当然否定した。すると、取調べ警察官の佐藤英二氏は「付着物を検査したら人血だった。君が事故を起こしたことに間違いない」と迫ってきた。

 当時、素朴に警察を信頼していたハタチの遠藤さんにとって、警察の言い分に対抗するだけの余裕はなかった。「もしかしたら気づかないままひいてしまったのかもしれない」という気持ちに追い込まれた。取調官は、ここぞとばかり「異常走行体験供述」を調書に書き込んだ。遠藤さんはそれでもなんとか訂正を要求したが、とりあってもらえず押し切られた。「では、右後輪の人血をどう説明するのか」と。

●暴かれたサギ的取り調べ

 このような「ぎけい偽計による取調べ」の実態は、取調べ警察官であった佐藤英二氏の証人尋問で暴かれることになる。

 当初、佐藤証人は、「(取調べの際、右後輪付着物は)人血とは言っていない」と逃げていた。

 しかし、「警察で検査したところ人血であるそうですが・・・」という調書の一部を示して追及すると、「人血であるとは言ったが、人血とは、23日朝宮城県の警察から聞いた」と口からでまかせを述べた。

 さすがにマズイと思ったのだろう。一ヵ月後には、「23日午後、検査により人血と判明したと電話による連絡を受けた」と言ってきた。

 調書を作るとき人血であることが検査ですでに判明していたというが、そういう決定的な事実なのにその時間などにについて、矛盾をつかれて弁解がコロコロ変わるというのはいかにも怪しい。検査は本当はなされていなかったのではないか。「ぎけい偽計による取調べ」の疑いが大いに強まる。

●「人血検査」は本当にあったの?

 そこで問題は、この「警察の人血検査」が本当になされていたのかどうかということである。

 一審当初、新潟県警の技術りいん吏員横山氏が、「当日『フィブリンプレート法』により人血反応がでた」と言っていた。

 ところが、「その検査方法では短時間のうちに簡単に結果は出せないはず」という船尾教授の証言がなされるやいなや、今度は宮城県警鑑識課の富谷定儀氏が、「『輪環反応法』により人血反応が出ていた」と言い分をかえてきた。

 刑事裁判では終始、この「富谷定儀氏の検査」の存在自体が疑問だと弁護人は主張していた。ところが一審裁判所は、これを全く無視、理由ぬきで都合のいいところだけをつまみぐいしていた。その結果、富谷氏の証言を採用、異常走行体験供述はぎけい偽計によるものではないと断定し、これを証拠採用してしまった。

 のちに最高裁は、無罪判決の中で明快に答えることになる。曰く、「富谷定儀りいん吏員による検査については、…、そのような検査が行われたこと自体が血痕鑑定に関する横山技術りいん吏員の証言等にも全く出ていなかったし、横山・富谷両技術りいん吏員の各証言によって、検査のがいよう概要が述べられているだけであって、その詳細なデータは保存・提出されていないから、これを船尾鑑定を疑問視する材料にすることは相当とは思われない。」と。いわば、口先だけで説明しただけでは検査があったといっても信用できないと言っているのである。

 最高裁の無罪判決は、刑事事件について有罪かどうかを判断するのに必要な限度で抑制をきかせて判示する。そのため、あらゆる争点について詳細に判断するとは限らない。

 それなのに、最高裁が上記のようにまで述べていることからすると、警察が「ぎけい偽計による取調べ」を行っていたことを最高裁は実質的に認めたといえるのではないだろうか。人血検査をまだしていなかったにもかかわらず、血液であると警察がウソをついていたことを認めたと思われるのである。

●「異常走行体験供述」は本当に信用できるのか。

 では、それほどまでにして一審裁判所が採用した「異常走行体験供述」の中身は本当に信用できるのだろうか。

 「急にハンドルが取られ車の後ろのほうがバウンドした状態になり、私の身体が少し浮き上がった。進路も急激に変わり、5・6メートルくらい進行する間に、1メートルくらい左側に移動した」

 この「異常走行体験供述」がのちに、司法研修所のテキスト「無罪事件に学ぶ−捜査実務の基本」で取り上げられた。「仮に、『被告人車の右後輪のみによるれっか轢過』が客観的に立証できたならば、犯人にしか知りえない供述としてその証拠価値は極めて高いものになっていたであろう」と評価されている。それほどまでに典型的な「右後輪のみによるれっか轢過」の特徴を有する供述であった。

●どうしても助けたがる国賠一審東京地裁

 ところが実際には、被害者は、前輪と後輪により二度ひかれていた。上山しげるたろう滋太郎教授の鑑定で判明したのである。この鑑定に対して、検察側は異を唱えず、一審裁判所も受け入れていた。とすると、最高裁が無罪判決でいうように「被告人が被害者をれっか轢過したのであれば、居眠り運転をしていたのでない限り、相当強力な衝撃を二度にわたって感じたはずであり、特に前輪は運転席のほぼ真下にあって、右前輪によるれっか轢過の衝撃は強く感じられたはずであるから、被告人の異常走行体験供述は、他の客観的証拠から認められるれっか轢過態様と矛盾するというほかない。」と考えるのが当然の道理というものである。

 となると、客観的事実と矛盾している遠藤さんの「異常走行体験供述」の中身のしんぴょうせい信憑性はゼロどころか、マイナスになったはずだった。

 にもかかわらず、裁判所は、遠藤さんと事故との結びつきを認めてしまった。曰く、「被告人は捜査段階においては、現場付近で異常走行状態を体験したことを供述している。・・・。これらは、被告人車両と事故との関連性を強くうかが窺わせる極めて重要な事実というべきである」と。

 こうしてみると、客観的証拠と食い違う「異常走行体験供述」を採用することは矛盾であることを一審裁判官は十二分に自覚しながら、遠藤さんに対する悪意をもってあえて有罪判決をしたと考えざるを得ない。

 なにしろ、客観的・科学的に2度轢過されたことが判明した後それを証拠採用しておきながら、明らかにそれとは矛盾する右後輪のみ轢過を示す「異常走行体験供述」を採用してしまっているのだから・・・。

 結局、「異常走行体験供述」に信用性がないことを十二分に認識しつつ、有罪判決をしたと考えざるをえない。

 この点、こくばい国賠東京地裁判決は、刑事一審の認定が著しく不合理とはいえないという。曰く、「必ずしも、車両の後輪のみに衝撃を受けたとする供述になっているかは判然としない」「本件一審判決が右前輪後輪れっか轢過の事実を認定したのは、原告の異常走行体験供述のみによったのではなく、右後輪付着物、事故態様に関係する各鑑定等の各証拠を総合勘案した上での認定であるから」と。

 最高裁の無罪判決にたとえ歯向かうことになろうとも刑事一審裁判官をどうしても助けようとしているかにみえる。

 以上、「異常走行体験供述」に関する判断においても、刑事一審判決にはたして違法性がないといえるのだろうか。わが国の普通の裁判官の少なくとも4分の1以上が、同様の手法と論理で、「異常走行体験供述」を有罪証拠として採用し遠藤さんがれっか轢過したという事実認定にいたると本当に言えるのだろうか。

 「異常走行体験」をめぐる問題として、有罪の立場からすると、さらに別の重大な問題が生ずる。遠藤さんが津川町で異常走行をもし本当に体験していたというのならば、その後、「もしかしたらひいてしまったかもしれない?!」という「事故認識」をいだく機会が何度もあったはずだ。にもかかわらず、いだくことなく、右後輪上の19×20センチ大の被害者の血液に気づかず、そのまま警察に車両を差し出すということが通常人としてはたしてありうることなのかどうか。

 次回は、「事故認識に関する問題」を論ずることとする。

[寅次郎]  



次回弁論のお知らせ

次回弁論は──

7月19日(水)午後3時〜4時30分
霞ヶ関の裁判所ビル8階
東京高裁民事9部・809号法廷

──です。

 皆さん、傍聴におこし下さい。弁論終了後、ミーティング及び懇親会を行いますので、そちらの方も是非どうぞ。

 前回の懇親会の様子

支援者の皆さん
支援者の皆さん

 



事務局から

●6月19日、私を含めて3人の運転者が原告となり、「運転免許の更新手数料は憲法で保障された財産権の侵害である」との訴訟を東京地裁に提起する予定。『交通の教則』などにより交通安全協会が儲かるだけの更新システム(=練金システム)を突くつもりだ。

●6月26日発売の『週刊ビッグコミック・スピリッツ』(小学館)で、史上初の本格的裁判コミック『交通被告人 前へ!』が連載スタートする。原作は私。カネも度胸も知識もない学生くんが、金持ちの悪たれ友人のクルマを代行運転しているとき、自動速度取締機により無実のスピード違反で測定&撮影され、「自分にウソはつけない」の一点で困難な裁判を争う、という物語だ。

 これがヒットしてくれたら、次は遠藤国賠をと企んでいる。あっ、そんな先のこと言ってる場合じゃないっ。締め切りが・・・!

[今井亮一]



●最近、遠藤国賠ホームページのアクセス数が、伸び始めています。また、先日はBBS(電子掲示板)に初めて遠藤さんが書き込みをして下さいました。その時にお礼とご挨拶をさせてもらえば良かったのですが(私は遠藤さんにお会いしたことがないので)、丁度多忙を極めており、その機会を逸してしまいました。この場を借りて、ご挨拶申し上げます。また、BBSにいらして下さいね。

●次回弁論には、遥々と京の都から、東の都まで出ていって、傍聴しようと思っています(支援者のYさんはもっと遠く、大阪からいらしているそうですが)。私の初傍聴となった第13回目の口頭弁論は午前中だったため、その後のミーティングはあったのですが、飲み会がなく、残念な思いをしました。2回目となる次回は期待していますっ(何を?)。

[ガヴァガイ]



●先日、寅次郎とガヴァガイと3人で飲み会を行い、遠藤国賠の支援活動を盛り上げるにはどうすればいいか話し合いました。その中でこれはなかなかいいアイデアだと思うものが一つありました。かわいい女の子がたくさん傍聴していたら、裁判官も少しはやる気を出し(ええ格好をし)、弁論中いつも寝ている検察官も目を見開いて議論に乗ってくるのではないかというものです。下世話で馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、意外と効果があるのでは?と割と真剣に考えています。

[カブ]



●5月26日(金)「神坂任官拒否国賠訴訟」の判決がありました。これは、箕面忠魂碑訴訟という政教分離に関する裁判にご両親とともに神坂直樹さん本人が参加していたから(?)という理由で、司法修習生だった神坂さんが裁判官への任官を拒否されたことに対して、教官(=裁判官)ら国を訴えていた裁判です。

 私も傍聴してきましたが、判決言い渡しはほんの数秒。「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」そう言いはなってホントに逃げるように立ち去る裁判官たち。一瞬のまのあとどよめきと「主任傍聴人」Tさんらから「理由を言わんかい。言うっていう話やったやないか!」という声がおこりました。

 なんとも厚い司法官僚の壁・・・。唖然として立ち上がれませんでした。「こんなんで勝ってはいけない」とみんなが思うほど原告側が主張立証をつくし、被告国側はほとんど反論しなかった、反論できていなかったのですから・・・。

●6月7日(水)TBS『筑紫哲也News23』にて、遠藤事件に関する特集が約15分間放映されました。前回5月15日弁論後のミーティングや6月3日日弁連主催の国際会議のワンカットもオンエアしました。

 そして、遠藤さんが娘さんを抱っこして語る最後の場面が実に絵になっていましたねえ。

 この特集中の最高視聴率は10パーセントを超えたとか。遅い時間にしてはけっこうな視聴率だったそうで、そうとう高い関心を呼んだようです。

 もし、見のがされた方は、事務局までご連絡ください。ビデオテープをお送りいたします。

 という次第でますます前向きに支援活動をやってゆきたいと思っています。どうぞご支援・ご協力のほどお願い申し上げます。

[寅次郎]

 


発行: 「遠藤国家賠償訴訟を支援する会」

代表 : 今井亮一 (交通ジャーナリスト)
広報 : 寅次郎  (勤人&大学院生)

  事務局連絡先:
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