国賠・東京地裁一審判決
平三(わ)三五号、平8・3・19判決

 

 判決文の電子化にあたって、亜細亜大学法学部助教授・町村泰貴さんの御協力を得ました。ありがとうございました。

 
判決

【当事者】

 原 告         遠 藤 祐 一

 右訴訟代理人弁護士   藤 井 英 男
                    外六五〇名

 被 告         国

 右代表者法務大臣    長 尾 立 子

 右指定代理人      榮   春 彦
                    外三名

 被 告         A
 同           B
 同           C
 同           D
 同           E
 同           F
 同           G

 右七名訴訟代理人弁護士 岩 渕 正 紀

【主文】

一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
【事実及び理由】

第一 請求

 被告らは、原告に対し、連帯して1100万円並びにこれに対する

 1 被告国、被告B、被告E及び被告Dにおいては平成3年2月2日から、
 2 披告C及び被告Fにおいては同月3日から、
 3 被告Aにおいては同月4日から、

それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二 事案の概要

 本件は、昭和50年12月、新潟県の国道49号線を新潟市方面から会津若松市方面に向かって原告運転の車両が進行中、轢き逃げ死亡事故を惹き起したとして、第一審及び第二審で有罪判決を受けながら、上告審の最高裁判所で逆転無罪の判決を受けた原告が、右逆転無罪を得るまでの14年間に被った損害(合計金1100万円)の賠償請求訴訟として、国に対しては国家賠償を、起訴検察官並びに第一審及び第二審の担当裁判官らに対しては個人の賠償責任をそれぞれ求めて提起した事案である。

第三 争いのない事実等

 一 当事者等

 1 原告は、昭和30年1月31日生まれの男子であり、昭和50年当時、運送会社の貨物自動車運転手として勤務していたところ、新潟県津川町で発生した後記轢き逃げ事故(以下「本件事故」という。)について、事故発生時刻ころ貨物自動車(以下「原告車両」という。)を運転して同地点を通過したことにより、本件事故の加害者の嫌疑を受けて取り調べられ、その結果、被告人として、左記のとおりの刑事裁判を受けた。

 (一) 昭和52年2月12日、新潟県地方検察庁により、業務上過失致死被告事件の罪名をもって起訴される。

 (二) 裁判について

 (1) 昭和57年9月3日、新潟地方裁判所の第一審(以下「本件一審」という。)において、禁錮六月執行猶予二年の有罪判決(以下「本件一審判決」という。)を受ける。

 (2) 昭和59年4月12日、東京高等裁判所第四刑事部の控訴審(以下「本件二審」という。)において、控訴棄却の判決(以下「本件二審判決」という。)を受ける。

  (3) 平成元年4月21日、最高裁判所において、破棄自判による無罪の判決(以下「本件無罪判決」という。)を受ける。

 2 被告国は、検察官の行う捜査及び訴追並びに裁判所の行う裁判について、責任を負う立場にある。

 3 被告A(以下「起訴検察官」という。)は、新潟地方検察庁検察官事務取扱副検事として、原告に対する公訴を提起し、本件一審での公判立会検察官は、第1回公判から第10回公判までを村山創史検事が、第11回公判から第21回公判までを河村博検事が、第22回公判から第32回公判までを赤松幸夫検事が、それぞれ務めた。

 4 被告Bは、本件一審の裁判長として、被告Cは、同じく右陪席裁判官として、披告Dは、同じく左陪席裁判官として、原告に対する審理に関与し、原告に対して本件一審判決を言い渡した。

 5 G(平成3年12月25日死亡により、本件訴え取り下げ)は、本件二審の裁判長として、被告Fは、同じく右陪席裁判官として、被告Fは、同じく左陪席裁判官として、原告に対する審理に関与し、原告に対して本件二審判決を言い渡した。

 二 本件事故発生から最高裁での本件無罪判決に至るまでの事実の経過

 1 昭和50年12月20日午後9時23分ころ、新潟県東蒲原郡津川町大字津川3445番地先の国道49号線(以下「本件国道」という。)路上において、飲酒酩酊し、路上に横臥していた伊藤力(当時40歳、以下「被害者」という。)が新潟市方面から会津若松市方面に進行した車両に轢き逃げされ、即時同所において死亡する交通事故が発生し、直ちに捜査が開始された。

 2 原告車両は、本件事故現場を通過後、そのまま、本件国道を会津若松市方面に向かって走行し、同日午後9時55分ころ、右事故現場から約26キロメートルほど会津若松市方面寄りの地点にある福島県警察喜多方警察署西会津派出所(以下「西会津派出所という。)前で本件事故の轢過車両発見のための交通検問(以下「本件検問」という。)を受けたが、異常なしということで通過を許され、宮城県志田郡松山町の自宅に帰った。

 3 新潟県警察津川警察署(以下「津川署」という。)が、右検問の記録(以下「本件検問記録」という。)に基づいて、関係警察署にいわゆる車当たり捜査を依頼したことから、本件事故の2日後の同月22日に宮城県警察岩沼警察署(以下「岩沼署」という。)の警察官が、原告の当時の勤務先である日本防火ライト工業株式会社仙台工場(岩沼市内所在、以下「防火ライト」という。)及び岩沼署において、原告車両を見分した結果、その右後輪タイヤ外側面に幅約20センチメートル、長さ約19センチメートルの血痕様付着物(以下「右後給付着物」という。)が発見された(ただし、本件無罪判決の認定した事実と異なる事実を主張しない旨を一貫して述べてきた被告ら主張と異なって、その具体的時間及び場所については争いがある。)。

 4 原告は、翌23日、岩沼署において、本件事故の被疑者としての取調べを受け、さらに翌々24日には、現地の津川署において、原告立会のもと実況見分が行われ、引き続き、被疑者としての取調べを受けた。

 5 その結果、原告は、昭和51年3月4日、新潟地方検察庁に在宅のまま送致された。

 6 その後、原告は、同年12月6日、現住所地に近い仙台地方検察庁古川支部からの呼出しを受け、被疑者として取調べを受けた。

 7 起訴検察官は、昭和52年2月12日、原告を新潟地方裁判所に在宅のまま公訴提起した(以下「本件公訴提起」という。)。

 8 本件一審判決後、控訴審で本件二審判決を受けた原告は、これを不服として、最高裁判所に上告を提起したところ、最高裁判所第二小法廷(以下「本件上告審」という。)は、平成元年4月21日、本件無罪判決を言い渡し、同判決は平成元年5月2 日確定した。

第四 争点

 一 本件公訴提起及び公訴追行の違法性の有無

 二 国家賠償法の対象としての裁判の違法について

 三 1 本件一審判決の違法性の有無

   2 本件二審判決の違法性の有無

 四 公務員(起訴検察官及び本件一、二審担当裁判官)の個人責任の有無

 五 損害額

第五 争点に対する双方の主張の要旨

 一 争点一(本件公訴提起及び公訴追行の違法性の有無)について

(原告の主張)

 起訴検察官及び公判立会検察官らは、捜査並びに公訴の提起及び追行等の過程において、以下に述べるように、原告に対し、違法な公権力の行使をしたことは明らかである。

 1 本件公訴提起の違法性

 (一) アリバイが成立することを見落とした

 本件公訴提起にあたり、起訴検察官の手元には警察の捜査に基づく次のような証拠資料があった。

 原告の司法警察員に対する50・12・23付供述調書(以下「50・12・23員面調書」という。)には「新潟方面から会津若松方面へ向かい雄川町の市街地を走っていたときバスとすれ違った」との記載、50・12・24付の津川署司法警察員渡辺良夫作成の実況見分調書には「バスとすれ違ったとき左前方に阿賀の川タクシーの看板が見えた」との記載、同日付原告の員面調書には「バスとすれ違った場所は左側に阿賀の川タクシーの看板があった」との記載がある。

 他方、本件国道を会津若松市方面から新潟市方面に進行して本件事故現場を通過した新渇交通の定期バス(以下「バス」という。)の運転手斎藤操(以下「バス運転手」という。)の50・12・26付員面調書には、「20日午後9時24分津川駅着の最終定期バスを運転して現場に差しかかり、徐行してセンターラインに男が倒れているのを見た、対向したタクシー運転手も徐行して見ていた、センターラインのところなので危なくないと思い通り過ぎた」旨の記載がある。

 ところで、「阿賀の川タクシー」の看板のある地点は、原告車両の進行方向であって現場から130メートルほど会津若松市寄りに行った地点である。

 右の各員面調書と実況見分調書の記載を照合すれば、本件事故は原告車両が現場を通り過ぎた後に発生していることになり、原告にはアリバイがあることになる。

 にもかかわらず、起訴検察官は、右アリバイ成立を看過し、バス運転手や原告に対しこの点の疑問を質すこともせず、有罪の判断に立った場合には証拠上顕著に存在する矛盾を放置し、漫然と本件公訴を提起した。

 (二) 右後輪付着物の付着メカニズム(付着機序)の科学的検討を怠った

 本件公訴事実は、「被告人車が時速約40キロメートルで進行し、その右後輪で進路上に横臥していた被害者の頭部、胸部等を轢過した」というものであり、原告車両右後輪タイヤ外側面に付着した血液様のものの存在が証拠として上げられていたが、時速約40キロメートルで進行する車両が路上横臥者を轢過した場合、どのようなメカニズムをもってすれば右後輪タイヤ外側面に横臥者の血液が約19×20センチメートルの大きさに付着し得るのか、そこに疑問を入れる余地が十分にあったにもかかわらず、起訴検察官は、その付着メカニズムについて、物理的・工学的観点からする科学的な検討を加えることを怠った。

 そして、右後輪付着物が本件事故によって付着した被害者の血液であると即断し、漫然と本件公訴を提起した。

 (三) 轢過態様の合理性につき検討を怠った

 本件公訴事実に記載された轢過態様と起訴検察官が本件公訴提起時に保有していた証拠資料を前提にすると、本件公訴提起時に起訴検察官が考えた轢過態様は「路上に横臥していた被害者は左右の前輪に轢過されることなく、原告車両の車体下部に巻きこまれて中央部のラジエーターガードに接触しその際ポロシャツの布目痕を残した、その後被害者の身体が頭部を車体下方向に、下肢を車体外方向に向けて横たわった状態にあるとき、頭部から上胸部までをその右後輪で轢過した。」ということになるが、しかし、布目痕が付着したとされる高さに横臥中の被害者がアノラックの下に着用していたポロシャツが接触したとは考えられないし、一度車体左右前輪の中央部まで巻き込まれた身体が、右後輪に轢過される前に身体の下胸部から身体、足までを車体下部外に移動するということは容易に考えられない。

 また、横臥中の被害者を直進車が轢過したという前提にたちながら、右後輪のみによる轢過という不合理な轢過態様を採用している。

 このように、起訴検察官は、本件事故の轢過態様の合理的検討を怠ったまま漫然と本件公訴を提起した。

 (四) 右後輪付着物が本件検問時に発見されないことが意味することの検討を怠った

 原告車両は、本件事故発生後、約30分経過したころ、本件検問を受けている。右後輪付着物が、そのタイヤ外側面に約19×20センチの範囲にわたり付着していたのが事実であれば、事故からわずか30分程度しか経過していない本件検問において、二人の警察官がこれを見落とすことがあるのかという疑問を抱くのが当然である。ところが起訴検察官は右後輪付着物が警察官に発見されないまま本件検問を通過したという不合理さと不自然さについて、納得できる合理的理由の検討を怠ったまま漫然と本件公訴を提起した。

 (五) ポロシャツの廃棄処分について

 起訴検察官は、被害者の着衣は本件において最重要な物的証拠の一つであったのに、その証拠を十分検討しないばかりか、その着衣が焼却処分されているにもかかわらず、その後の充分な捜査を尽くさないで、漫然と本件公訴を提起した。

 (六) 原告の供述調書に対する検討の懈怠等

 原告は、50・12・23付及び50・12・24付の各員面調書において「現場を走行中に衝撃を受けた」旨の異常な走行体験の供述(以下「異常走行体験供述」という。)を行っている一方で、本件公訴提起の二か月前の仙台地方検察庁古川支部検察官事務取扱副検事鈴木一二作成の51・12・6付検面調音(以下「51・12・6検面調書」という。)においては「私はそのような事故を起こした覚えもない」とか、「津川町内でショックを感じたと話したことはいま訂正します」旨を供述し、少なくとも、原告が、本件公訴提起前には、本件事故を起こしたことを否定する方向へ供述を変更していたことが窺えるのであるから、起訴検察官としては、原告に供述の変遷が生じた理由や司法警察員の原告に対する取調べ情況等を検討し、供述内容の真偽等について再考すべきであった。

 そのためには少なくとも起訴前には、原告を直接取調べてその言い分を聴取すべきであったのに、それを怠り、前記二通の員面調書の記載を漫然と措信して本件公訴を提起した。

 これは、告知と聴聞という憲法三一条の適正手続条項の精神にも反するものであり、原告は、起訴不起訴の判断権者から不利益事実の告知を受けて自らの防御のために弁解するという機会を奪われたまま、本件公訴提起という不利益を受けたものである。

 (七) まとめ

 検察官は、公訴提起時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により、判決において有罪と認められる嫌疑が存在する場合においてのみ、公訴を提起すべき職務上の義務があるのであって、公訴提起時を基準として事後的に審査し、検察官が当該事実の性質により当然なすべき捜査を怠り、証拠資料の収集が不十分なため、あるいはその収集は十分であっても、証拠の証明力の評価の仕方について、通常考えられる個人差を考慮に入れても、その評価、取捨選択を誤るなどして、有罪の判断が行き過ぎで、経験則・論理則上からして、到底首肯できない程度に不合理な心証形成をなし、その結果、客観的に見て有罪判決を得られる見込みが十分とはいえないにもかかわらず、あえて公訴を提起した場合には、当該行為は違法であり、これを行った検察官には過失があるというべきである。

 とすれば、前記(一)ないし(六)から明らかなように、起訴検察官による本件公訴提起は違法である。

 2 検察官の公訴追行の違法性

 公訴の追行も刑事事件の各段階における各種の証拠資料を総合勘案し、将来有罪判決を期待しうる合理的な理由があれば、後に無罪の判決が確定したからといって当然に右公訴追行が違法となるものではないが、公訴追行過程において右のような合理的な理由も存在しないのに、あえて公訴の追行を継続していた場合には右行為は違法となる。

 本件公訴提起自体が違法であることは、前記1のとおりであるから、これに引続く公訴追行は、その後、新たな証拠が加わり有罪判決を期待しうる合理的な理由が具備されるに至るなど、特段の事情が認められない限り、その追行もまた違法を免れない。

 本件一審の審理経過に従い、公判立会検察官の公訴追行の違法性について検討すると、まず公判立会検察官としては、公判開始前に本件公訴事実と証拠関係を検討することにより、前記1(一)ないし(六)のような矛盾に気づいたか、もしくは、気づくべきであったのであり、また、本件無罪判決の指摘するところの証拠関係によれば、公判開始から二年後の昭和54年2月までには、原告車両と本件事故との関係を否定する後記船尾鑑定及び江守鑑定も提出されたのであるから、公判立会検察官としては、その時点で有罪の見込みのないことに思いを致し、公訴を取消すべき義務が生じたというべきであり、それを怠り、そのまま公訴を追行した本件公訴追行は、違法な職権行使として国家賠償法(以下「国賠法」という。)上の違法に該当するものである。

(被告国及び起訴検察官の主張)

 1 検察官の本件公訴提起について

 (一) 総論

 検察官の公訴提起に違法があるというためには、検察権行使の主体である検察官の職務行為の本質ないし特質に鑑みると、犯罪の嫌疑があると判断した検察官の各種証拠資料に対する証拠の評価及び総合的判断が、通常考えられる検察官の個人差を考慮に入れても、経験則・論理則に照らして到底その合理性を肯定できない場合をいうものであるところ、本件公訴提起にあたって、起訴検察官は、それまでに収集した証拠関係に基づいて、本件事故と原告車両との間に、次の(1)から(4)に述べるような状況が認められたために、原告について有罪判決が得られる十介な嫌疑があると判断したものである。

 (1) 原告車両は、本件事故発生の時刻ころ、本件国道を新潟市方面から会津若松市方面に向かって進行し、本件事故現場を通過していた。

 (2) 原告車両は、本件検問記録に基づき、所轄警察署において、その所在調査を受け、本件事故の二日後の車両見分の結果、右後輪付着物が、右前輪ショックアブソーバー下部ステーから被害者と同一の血液型である肉片及び人の眉毛或いは睦毛と思われる毛髪が、更には、ラジエーターガードから被害者の当時の着衣の布目痕が、それぞれ採取された。

 (3) 被害者の轢過態様には、複数車両による二重轢過の痕跡がなく、二重事故の可能性はないものと認められた。

 (4) 原告は、本件事故後、間もない昭和50年12月23日及び同月24日の司法警察員の取調べにおいて、本件事故現場付近で異常な走行を体験した旨供述しているが、その供述は車両の動きを克明にとらえ、実際に体験した者でなければ容易に言い表せないものであり、不自然なところはなく、極めて信用性が高いと認められた。

 (二) アリバイについて

 起訴検察官は、本件公訴提起時において、本件事故現場に斉藤操運転のバスが差しかかった時には、本件事故は既に発生していたとの認識を有していた、すなわち、前記(1)ないし(4)のような証拠関係によって、原告に有罪の嫌疑が十分に認められると判断していたことに加え、起訴検察官は、バス運転手の供述は、必ずしも被害者の生存を確認したという内容になっていないことを考慮して、本件事故現場にバスが差しかかった時には、本件事故は既に発生していたと認識したものであり、その認識・判断が前記のとおり総合評価の結果である以上、不合理であるとはいえない。

 (三) 轢過態様及び付着メカニズムについて

 本件公訴提起時において起訴検察官は、轢過態様について「路上に横臥していた被害者が、原告車両の車体下部に巻き込まれて右後輪で轢過された」という認識しか有してなく、それ以上子細な認識は有していなかったが、起訴検察官が轢過態様について、正確な把握をするためには、精密な科学技術を応用した鑑定等を経なければ著しく困難であるし、さらに、捜査手法は時代の社会的状況等によって大きな制約を受けるうえ、捜査体制についても一つの事件に割けることのできる人員、時間、費用等には限界があるため、そのような鑑定を依頼するかどうかはその事件の罪種、被疑者の供述内容、他の客観的証拠関係等を総合して決せられるべきであるが、本件では横山修一による鑑定(以下「横山鑑定」という。)がなされているうえ、原告が本件事故後間もないころにした異常走行体験供述があるので、前記のような鑑定を依頼しなかったのであり、そのことが本件公訴提起の違法性を構成するものではない。

 (四) 右後輪付着物が本件検問で発見されなかったことについて

 起訴検察官が、本件公訴提起時において、本件検問の際に右後輪付着物を見落としていた可能性があると判断したのは、以下の諸事情によるものであって、右判断は、合理性を肯定できない程のものではない。

 (1) 本件検問では、司法警察員渡辺正紀の本件二審における証言で明らかなように、検問当時、未だ、本件検問に従事した警察官らが事故態様を正確に把握していなかった。

 (2) いわゆる轢き逃げによる死亡事故の場合の多くは、路上を歩行中あるいは路上に佇立している歩行者に車両の前部等を衝突させるという事故態様であるため、単に、轢き逃げ死亡事故との報告しか受けていなかった前記警察官らが、原告車両の前面を中心に見分していることも不自然とはいいがたい。

 (3) 本件検問が夜間である上、車両が停止した際のタイヤの回転停止状況によっては、右後輪付着物の地面からの高さ等に違いが生じ、それが懐中電灯の照射方向いかんで、それの発見を難しくする場合がある。

 (五) ポロシャツの見分等について

 本件においては、起訴検察官が主任検察官になる以前に、すでに阿部隆による鑑定(以下「阿部鑑定」という。)がなされているのみならず、その鑑定結果も、明確に被害者の着衣であるポロシャツと原告車両から採取されたいわゆる布目痕との同一性を肯定しており、また、そうした鑑定結果が公文書により保存されている以上、その着衣を焼却処分に付したからといって、公訴提起の適法性に影響を与えるものではない。

 (六) 原告の取調べの懈怠について

 起訴検察官は、原告の異常走行体験供述が、轢過時の車両の動きを克明にとらえ実際に体験したものでなければたやすくいいえないものであり、不自然なところはなく信用性が極めて高かったこと、既に原告の取調べは、副検事である鈴木一二によって行われていること、原告の51・12・6検面調書の供述は、異常走行体験を否定している一方、被害者を原告車両で轢過している可能性について言及しているなど、極めてあいまいであって信用性に欠けることなどから、再度の取調べをする必要がないと判断したのであって、そのことは特に不合理なことではない。

 2 検察官の公訴追行について

 検察官の公訴追行は、公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案し、合理的な判断過程で有罪と認められる嫌疑があれば、違法とはいえず、原則として、公訴提起が違法でないなら、その追行も違法ではない。

 従って、公訴提起自体に違法が認められない事案においては、新たに収集された公訴追行時の証拠によって公訴提起時における証拠関係がことごとく崩され、もはやこれらの全証拠を総合勘案しても有罪と認められる嫌疑が存在しないという特段の事情が認められなければ、その公訴追行が違法であるとはいえない。

 本件の場合、公訴提起自体が前記1のように違法といえず、また、公訴追行時において新たに収集された証拠関係についても、有罪と認められる嫌疑を肯定できる相応の根拠が認められたため、公判立会検察官は、全証拠を総合勘案し、公訴追行時において未だ原告を有罪と認められる嫌疑があると判断したものであって、その公訴追行が違法であるとはいえない。

 二 争点二(国賠法の対象としての裁判の違法)について

(原告の主張)

 1 刑事裁判は、刑罰という人権侵害に深くかかわる問題を扱い、刑事裁判を担当する裁判官には、極刑である死刑から自由刑、財産刑までの刑罰を科すことによって、国民の生命・身体の自由、財産等を剥奪する権限が付与されている。

 このように国民の運命に決定的な影響を及ぼす絶大な権限を有する刑事裁判官の職責は、極めて重大であり、国民が、刑事裁判官に期待することは、適正な裁判がなされることであるが、適正な裁判にとって不可欠の前提は、何をおいても事実を正しく認定することである。

 そのためには、裁判官が公平な態度で審理にのぞみ、万に一つでも誤った有罪判決をなすことのないよう被告人・弁護人の主張によく耳を傾け、証拠の評価にあたり、物的証拠については犯罪や被告人との関連性を、鑑定についてはその内容の正確性・真実性を、供述証拠についてはその任意性・信用性を、合理的かつ科学的に検討して行うべき最高度の注意義務がある。

 そして、有罪判決を言い渡すためには、自由と権利を剥奪・侵害する刑罰権の発動という刑事裁判の性質上、民事裁判と異なり、裁判官は合理的な疑いをいれない程度の確信を要し、裁判官は、合理的な疑いをいれない程度の証明がなされない場合には無罪を言い渡すべき義務がある。

 そして、刑事裁判に上訴等の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在しても、これによって当然に国賠法1条1項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるものではないが、当該裁判官が事実認定にあたって経験法則、採証法則、論理法則を著しく逸脱し、裁判官に要求される良識を疑われるような非常識な過誤を犯したことが当該裁判の審理段階において明白であるなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような事情があれば、国賠法上においても違法の評価を免れない。

 なお、刑事裁判における「合理的な疑いをいれない証明」の原則や「疑わしきは被告人に有利に」の原則は、いずれも刑事裁判官の行為規範として、これに違反した裁判も国賠法にいう違法に当たるものであることは当然である。

 2 さらに、刑事裁判においては、憲法と刑事訴訟法で規定された適正手続と証拠能力ルールの下で裁判が行われることが保障されており、従って、この手続上の原則に著しく違反して審理、判決をした場合は、仮に、事実認定の推論過程に極端な誤りが認められなくても、その裁判官の行為には、刑事訴訟法の本質に由来する行為規範の違背があるものとして国賠法上の違法の評価は免れないものである。

(被告国の主張)

 裁判官の職務行為の違法については、裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国賠法1条1項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任が生じるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不法な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。

 三 争点三1(本件一審判決の違法性の有無)について

(原告の主張)

 本件一審判決の理論構成は、

 [1] 本件事故前後の各関係通過車両の時間的側面に注目すると、原告車両を加害車両と考えざるを得ない(情況証拠に基づく事実認定)

 [2] 物証及びその鑑定結果から見て、原告車両と本件事故との結びつきが認められる(物証及び鑑定に関する事実認定)

 [3] 異常走行体験供述は、原告車両と本件事故との関連性を強く規わせる極めて重要な事実である(供述の任意性・信用性に関する事実認定)との三点から構成されている。

 しかしながら、本件一審判決の右各点についての認定・判断には、次のような違法が存在する。

 1 情況証拠に基づく事実認定についての違法性

 本件一審判決の情況証拠に関する事実認定には、有罪の理由として積極的に行った事実認定の違法と原告のアリバイ主張を退けたことについての以下のような違法がある。

 (一) 中川丈次(以下「中川」という。)が擦れ違った車両の問題に関する違法な判断

 本件一審裁判所は、中川の52・10・12付検面調書を特信性ありとして刑事訴訟法32 1条1項2号書面として証拠採用した。しかしながら、本当は、中川は、本件事故発生直後、警察に対して擦れ違ったトラックは「冷凍車のような車」であると述べているのに、中川の50・12・25付員面調書が作成し直された疑いがあること、第7回公判において中川が擦れ違ったのは冷凍車であると供述しており、公判立会検察官が中川の右証言を何ら弾劾せずに放置したこと、中川の前記検面調書記載の「少なくとも冷凍車のようなものではなかった」との供述が真実に反して検察官の強い誘導により生じたこと、中川が第14回公判において、第7回公判でのトラックの形状についての証言が確実な記憶に基づいたものであると述べたこと等からすれば、中川の前記検面調書を特信性ありとして証拠採用したことは、著しく採証法則に違反し、違法である。

 (二) 検問関係証拠の問題に関する違法な判断

 本件一審判決が「被告人車の検問場所通過時刻及び佐藤車との先後関係などからも、被告人車を加害車両と見て全く矛盾のない結果が出ている」旨の認定をするためには、証人佐藤賢一の証言を採用しなければならないところ、この証人は本件事故当時は全く捜査に関与せず、赤松検察官に命じられて昭和56年暮れから本件の補充捜査に従事したものであり、原告車両の検問場所通過時刻及び佐藤芳賢車との先後関係についての証言は、赤松検察官が証拠申請し、弁護人の不同意によって撤回した検問表(以下「本件検問表」という。)の記述を丸暗記したもので伝聞証拠であるから、本件一審判決には法が証拠として許容しない伝聞証拠を用いた違法がある。

 (三) アリバイをめぐる恣意的認定の違法性

 原告及びバス運転手の供述等から、原告にアリバイが成立していたことは、原告の前記主張第5・1(検察官)のとおりであるが、本件一審判決は、検察官と弁護人間で争いのない事実であった原告車両とバスとの擦れ違い地点を、全く証拠の裏付けを欠く独断によって車故現場の反対側にずらすことによって、原告のアリバイ成立を否定したのであり、まさに意図的・恣意的な認定であるうえ、右争いのない事実と食い違う事実認定をするには、被告人(原告)に防御を尽くさせるために争点を顕在化させる必要があるにもかかわらず、本件一審裁判所はこれを怠って、不意打ち認定をしており違法である。

 2 物証及びその鑑定に関する判断の違法性

 本件一審判決によると、桂秀策教授による鑑定(以下「桂鑑定」という。)の結果に基づき、右後輪付着物には、本件事故に由来する被害者の血液が含まれていたと認定し、本件事故と原告の結びつきを証する重要な物証と位置づけている。

 しかしながら、右後輪付着物は、その発見に至る経緯及び自動車工学鑑定の結果から見ても、本件事故との関連性が認められる余地はなく、また血痕鑑定によっても、被告者の血液が付着したものと見ることはできないものである。

 それにもかかわらず、本件一審判決が、右付着物を本件車故の際に付着した被害者の血液と認定したことについては、以下のような違法がある。

 (一) 本件検問時の右後輪付着物の見落とし判断の違法性

 本件一審判決は、右後輪付着物が本件検問時に発見されなかったことについて、単に二人の検問警察官が見落としたに過ぎないと認定した。

 しかしながら、右後輪付着物が約19×20センチメートルの大きさであり、加害車両を捕まえるための緊急配備検問をしていた警察官がこれを見落とすという認定は不合理である。

 (二) 防火ライトにおいて、右後輪付着物が発見されたかどうかについて判断を回避した違法性

 右後輪付着物がいつどこで発見されたかについては、本件一審公判において検察官・弁護人間で激しく対立していた点であるのに、本件一審判決はこの点についての判断を回避した違法がある。

 (三) 江守鑑定に関する判断の違法性

 江守一郎教授による鑑定(以下「江守鑑定」という。)は、極めて明快で工学や力学の専門家でないものにとっても、大変わかりやすく説得力に富んでおり、その結果によれば、右後輪付着物と本件事故との関連性を否定しているところ、本件一審判決は、江守鑑定をなんら合理的な理由を示すことなく排斥しており、違法である。

 (四) 上山鑑定を無視した違法性

 上山滋太郎教授による鑑定(以下「上山鑑定」という。)書には、本件事故の轢過態様について、被害者は伏臥状態のところを後頭部から上胸部(背部)までの範囲(約43センチメーール)にわたって轢過されており、特に、頭部は頭蓋骨の骨折線からみて前輪及び後輪により二度轢過されている、との記載がある。

 この轢過態様を前提とするかぎり、原告車両が轢過したとすれば、そのタイヤの踏面幅は前輪が17.4センチメートル、後輪ダブルタイヤの踏面幅が約43センチメートルであるから、右後輪外側タイヤが被害者の上胸部(背部)に乗ることになり、出血部位は鼻と口であるから右後輪外側タイヤに被害者の血液が付着するはずがない。

 そしてこの上山鑑定を前提にすれば本件一審判決の認定した轢過態様及び血痕付着機序も成立する余地はない。

 しかしながら、本件一審裁判所は、上山鑑定について上山教授から何らの説明も求めることもせずに、また本件一審判決は、何の説明もすることなく上山鑑定を排斥しており、違法である。

 (五) 血痕鑑定についての違法性

 本件一審判決は、(1)血液予備試験の意義を曲解し、その結果を無視した判断の違法及び(2)船尾、桂鑑定に対する窓意的判断の違法がある。

 (1) 血液予備試験の意義を曲解した違法

 血痕検査の手順としては、血液予備試験を先に行った後に本試験を行うべきであること、予備試験は、血痕のように見える類似の瘢痕が血痕であるか否かを鋭敏度の高い試薬を用いて判断する検査法であって、検体について予備試験の結果が陰性であれば、血液でないと断定し、それ以上の検査は省略してもかまわないというのが法医学の常識であったのに、本件一審判決は、予備試験の意義を曲解し、その結果を無視した。

 (2) 船尾鑑定及び桂鑑定に対する恣意的判断の違法性

 本件一審判決は、船尾忠孝教授による鑑定(以下「船尾鑑定」という。)について、何らの根拠もなくその信用性を否定してこれを排斥したうえ、内容的に矛盾に満ち、方法としても客観性に欠ける桂鑑定を全面的に信用してこれを採用した違法がある。

 3 原告の異常走行体験供述について

 原告の異常走行体験供述には任意性・信用性がないことは明らかであるのに、本件一審判決は、任意性・信用性を肯定しており、従って、その認定・判断は、以下のとおり違法である。

 (一) 供述の任意性に関する判断の違法性

 原告の右供述は、取調官の偽計による取調べにより生じたものであり任意性がない。

 つまり、被疑者としての取調べにおいて事故を起こした覚えはないと述べる原告に対し、未だ捜査過程上、右後輪付着物の血痕鑑定の結果が判明しうる段階に至っていなかったにもかかわらず、取調官は原告に村し取調当初から、右後輪付着物は警察で検査したところ人血であることが分かった、と虚偽の事実を何度も執拗に告げ、そのため、当時警察を素朴に信頼していた原告は、その心理に決定的影響を受け、事故を起こしたという認識はないのに、警察官が嘘を言う筈はないから、そのとおり、タイヤには人の血が付いているのだろうと思い込み、そうだとすると自分では気づかないまま人を轢いてしまったのかもしれないと思うようになり、最後は諦める気持ちで調書に署名捺印したのである。

 この点について、取調官の佐藤英二は、公判において、弁護人の追求を逃れるため、供述を二転、三転させているにもかかわらず、本件一審判決は、くるくる変わって明らかに偽証である最後の供述部分を何らの合理的理由を示すことなく採用して、偽計による取調べであることを否定し、原告の異常走行体験供述に任意性ありと判断したが、その認定は、著しく採証法則に反する違法な認定である。

 (二) 供述の信用性に関する判断の違法性

 本件一審判決は、原告の異常走行体験供述は信用性があるとしたが、その異常走行体験供述の内容は「走行中、急に車の状態が後から何かに車を引っ張られるように・・・・進行が鈍ったような感じがした」とか「車の後の方がバウンドした状態となり」というものであって、これは明らかに後輪のみによる轢過を示したものである。

 しかしながら、右供述は、上山鑑定にもあるように、被害者は、前輪と後輪による二度の轢過を受けているものという客観的事実と矛盾するものであるうえ、本件一審判決も、同じく右側前後輪による轢過態様の事実認定をしながら、他方では、右後輪のみの轢過をいう供述に信用性ありとして有罪証拠の柱に用いるという明らかな自己矛盾を冒している。

 以上のように、本件一審判決の異常走行体験供述に対する信用性の判断は違法である。

 4 訴訟手続の違法性及び訴訟指揮・証拠採否の備頗性

 (一) 布目痕及びその警察鑑定の立証をめぐる訴訟指揮・証拠採否の偏頗性

 本件一審裁判所は、阿部隆証人の再尋問を採用したのち、布目痕とその鑑定が有罪判決の理由付けにとって障害となることを認識したため、検察官に右証人申請を撤回させて、検察官の主張とは別の理由を構成して有罪としたのであり、その措置及びこれに基づく有罪判決の構成は、まさに本件一審裁判所の「最初に有罪ありき」との意識のもとになされたものであり違法である。

 (二) 検問関係の立証をめぐる訴訟指揮・証拠採用の偏頗性

 検問関係の補充立証の時期と出現の経緯からみて、補充立証は少なくとも本件一審裁判所からの示唆程度はあったとみるほかなく、本件一審裁判所が、自らの有罪判決の構想に沿わせる形で足りない証拠を補充したとみるべきであり、加えて、刑事訴訟法上は許されないことが明白な、伝聞証拠を用いて原告を有罪としたその措置及びその有罪判決の構成は、まさに本件一審裁判所の最初に有罪ありきとの意識のもとになされたものといえるのであり、違法である。

 (三) 佐藤芳賢の期日外尋問及び佐藤芳賢の員面調書の不開示について

 佐藤芳腎証言の要点は、「佐藤芳賢運転の車が、事故後の現場を最初に通過したこと、検問場所まで他の車を追い越すことも追い越されることもなかったこと、検問場所で平ボディ、四トンくらいの、空荷のトラックが自車の直前に検問を受けたことを見たこと」である。

 すなわち、佐藤芳賢運転の車の直前に検問を受けたトラックがまさに原告車両であり、佐藤芳賢が、事故後最初に現場を通過した車である以上、原告車両以外に被害者を轢過した車両はありえないと認定しようというものである。

 (1) この佐藤芳賢証言は、本来、原告車両と本件事故を結び付ける有力な端緒であり、かつ、証拠であって、現に、佐藤芳賢証言によれば、捜査当局は事故当夜、佐藤芳賢から30分ないし1時間程度事情を聞いているのであり、その重要性は当初から十分知らされていたはずである。にもかかわらず、起訴後5年以上経過して、論告、最終弁論を残すだけという最終段階になって、突如として補充立証として審理に登場することになった。

 (2) 佐藤芳賢の証人申請に対して、弁護側は、佐藤芳賢は本件捜査上重要な人物であったにもかかわらず、証人請求の時点まで弁護側にその存在すら隠しておきながら、審理の最終段階において登場させようとするのは不可解であり、さらに6年以上前の経験事実を供述させるのは、証人としての適格性に欠けるとしてその採用に反対した。

 ところが、本件一審裁判所は佐藤芳賢を証人として採用し、さらに、同人が職務上多忙であるというだけの理由に基づき、期日外で証人尋問を実施した。

 (3) このように、弁護側の反対を無視し、検察官の請求するとおり佐藤芳賢の証人尋問を実施しておきながら、他方、弁護側からする佐藤芳賢の員面調書の証拠開示要求に関しては、本件一審裁判所は佐藤芳賢の証人尋問の実施前はもちろん、実施後も開示命令は出さず、検察側に勧告すらしなかった。

 さらに、弁護側の弾劾証拠としての証拠申請すら却下した。

 以上(1)ないし(3)の訴訟指揮の偏頗性は、本件一審裁判所がなんとしても原告を有罪にしようという意識のもとになした違法なものである。

 5 以上を総合すれば、原告主張の前記1ないし4の各事実は、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものであるから、故意又は単なる過失に止まらない重大な過失があり違法である。

(被告国及び一審裁判官らの主張)

 1 情況証拠に基づく事実認定について

 (一) 中川が最後に擦れ違った車両(以下「擦れ違い車両」という。)の問題に関して

 (1) 本件一審判決が、擦れ違い車両は原告車両以外にあり得ないとした根拠は、次のとおりである。

 [1] 擦れ違い車両の形状はトラックであり、冷凍車の形状であったとする小川の第7回公判での供述は措信しがたく、右トラックは概ね四トン桂度であまり特徴のない極めて一般的な形状のものと認められること

 [2] 右トラックの形状が原告車両と符合すること

 [3] 中川は、事故現場から約二キロメートル会津若松市寄りの平堀ボーリング場付近から宮川魚屋までの間で原告車両らしきトラックと擦れ違ったとの併述はしておらず、宮川魚屋付近でトラックと擦れ違ったのちは事故現場に至るまで他に擦れ違った車両はなかったと一貫して供述していること

 [4] その他認定した現場の情況を加味したこと

 (2) 本件一審判決の右(1)の認定・判断は、次の点に照らし、著しく不合理なものではないというべきである。

 [1] 中川が、擦れ違い車両の形状について、コンテナか冷凍車のような感じのものと供述したのは第7回公判においてだけであって、しかもその供述自体に不明確な点があることは否定できず、他方、中川は、第14回公判、員面調書、検面調書及び司法警察員作成の「不審車両の聞込みについて」と題する報告書において、いずれも、擦れ違ったトラックは概ね四トン程度の一般的な形状のものである旨供述している。

 [2] 中川の平堀ボーリング場付近から事故現場までの擦れ違い車両についての供述は、前記(1)[3]のとおりであるが、午後九時過ぎという当時の時間帯、付近の場所及び交通情況等をも勘案すると、本件一審判決が右供述を採用してそれに沿う事実を認定したことをもって、著しく経験則、採証法則に反するものとはいえない。

 (二) 検問関係証拠について

 佐藤賢一証言を事実認定に採用することは、刑事訴訟法に違反しない。けだし、佐藤賢一は、本件検問を直接担当した警察官ではないものの、公判段階になって、補充捜査の一環として本件検問表に基づき、新潟陸運事務所において車体型式などの車両の種類を調べ、「死亡轢き逃げ事件捜査に関する車両調査について」と題する報告書を作成しているところ、同人は、本件一審証人として右報告書の作成経緯及びその過程において自ら知りえた事項について供述しているものであって、その供述内容は伝聞供述にはあたらない。

 (三) アリバイについて

 原告主張のアリバイが成立するためには、原告のバスとの擦れ違い地点に関する供述の信用性の有無にかかり、本件一審判決が、右供述の信用性を否定したのは、以下の理由からであり、その理由は相応の根拠に基づき、裁判官の判断として著しく不合理なものとはいえない。

 (1) 原告主張のとおり「阿賀の川タクシー」の看板付近で原告車両とバスが擦れ違ったとすると、次の点で、他の客観的証拠や措信しうる各証拠により認められる情況証拠と符合しない。

 [1] 原告車両が事故現場を通過してからバスが事故現場に到着するまでの時間は、23.4ないし31.2秒となるが、その間に、被害者が「あたらしや」の前あたりで道路中央線方向に進出し、津川農協前の事故現場まで少なく見ても約20メートル以上にわたる距離をぶらぶらとよろけながら酩酊、歩行して、その場に転倒、横臥するという一連の行動をとるということは、経験則上考えられない。

 すなわち、右の約20メートルの距離について、前記速度を時速に換算すると、約3 ないし2.3キロメートルに相当し、これは、通常人の歩行速度の6割ないし7割に相当するものであるが、右のような泥酔状態にあった被害者がこれより早い速度で(右23 .4ないし31.2秒には、路上の歩行時間ばかりではなく、道路中央方向に進出する時間及び事故現場で転倒、横臥する時間も含まれている。)歩行することは考えられない。

 [2] 本件事故前に原告車両が現場を通過したのであれば、原告が、道路中央近くをぶらぶら歩行中の被害者を目撃しないはずはない。

 [3] さらに、原告車両の現場通過時に既に被告者が横臥していたのであれば、原告車両が被害者の轢過若しくはこれとの接触は避けられないはずである。

 (2) 擦れ違い地点に関する原告の供述自体にあいまいさがある。

 すなわち、バスとの擦れ違い供述は、原告が特に「阿賀の川タクシー」の看板の存在を意識して走行したとは認められず、しかも事故現場付近の道路は当夜を含めて過去に一往復したにすぎないという状況下で、記憶に基づいて述べたものにすぎず、かつ、原告は第29回公判において右擦れ違い地点について、明確とはいいがたい供述をしており、本件一審判決の見方が著しく不合理とはいえない。

 2 物証及びその鑑定に関する事実認定の違法性について

 (一) 本件検問時における右後輪付着物の見落としについて

 この点に関し、本件一審判決は、本件検問の所要時間が僅か9分程度のもので、しかも、深夜懐中電灯の灯を頼りに行ったものであるから、その付着場所の異常性も考慮すると、検問時に見過ごされたこともあながち不合理なこととはいえない旨判示しているが、右の認定・判断は、被告の前記主張第5・1(検察官)と同様、相応の根拠に基づくものであり、著しく不合理なものとはいえない。

 (二) 右後輪付着物を発見した日時場所についての判断について

 本件一審判決は、右後輪付着物の発見の日時場所について、明示的な判断をしていないこと及びこの点について検察官と弁護人との問に主張の対立があったことは、原告主張のとおりである。

 (三) 轢過態様及び血痕付着機序について(江守鑑定・上山鑑定について)

 本件一審判決は、バス運転手の目撃した事故直前の被害者の位置姿勢と、中川の目撃した車故後の被害者の位置姿勢がまるで異なっていること、現場付近の道路情況及び現場路面に残された痕跡、死体の主要な損傷は、左上肢のほかは胸部よりも上方に限定されており、頭部から顔面の部分に見られる損傷と下顎部から頸部にかけての損傷との間に、かなりの程度の違いがあること等を詳細に認定し、これらを総合的に検討したうえ、轢過態様について考察を行い、一応の考え方として、轢過態様を判示したものであるから、相応の根拠に基づく推認を行っているものであり、右判決が著しく経験則、採証法則に反する不合理なものということはできない。

 また、仮に、江守鑑定を排斥した理由に十分な説得力が認められないとしても、江守鑑定の結論に批判的な上山鑑定及び井上鑑定(井上教授の証言も含む)があり、また、江守鑑定補充書が提出されていない一審の段階においては、本件一審判決が江守鑑定を排斥した説示部分のみを取り出して、これをもって裁判官の判断として著しく不合理であるとはいえない。

 (四) 血痕鑑定について

 (1) 予備試験について

 本件一審判決は「桂鑑定はその道の第一人者の手になる周到、綿密な検査法を駆使したものであって、その結果は大いに信頼すべきものということができる」との見解にたっており、ことに顕微沈降反応法は微量血痕の判別においては輪環反応法(船尾鑑定で採用、「輪環試験」「輪環テスト」ともいう。)を含む他の手法よりも鋭敏度が高く有効であるとの認識のもとに、横山の予備試験と比較をする上で判示のような表現をとったものであり、かかる認定・判断をもって、著しく経験則、採証法則に反するものとはいえないから、この点をとらえて、予備試験の意義を曲解したとか結果を無視したとかいうことは到底できない。

 なお、仮に、本件無罪判決が指摘するように、本件一審判決が予備試験の意義について正確な認識を有していなかったとしても、血痕鑑定については桂鑑定という有力な根拠があるほか、有罪、無罪の判断は、血痕鑑定以外の各証拠との総合判断の上でなされるのであるから、個別に予備試験の意義についての認識の部分のみを取り出して、これをもって、裁判官の判断として著しく不合理なものであるなどとは到底いえないし、まして、裁判官が意図的に予備試験の意義を曲解し、結果を無視することなど考えられない。

 (2) 桂鑑定・船尾鑑定について

 本件一審判決は、桂鑑定を採用した理由について、顕微沈降反応法は手法に特殊性はあっても、原理そのものは輪環反応法と同じく沈降反応を観察するものであり、既に全国の数か所の警察において採用実施されており、こと微量血痕の判断においては輪環反応法を含む他の手法よりも鋭敏度が高く有効なところから、微量血痕の鑑定においてかなりの実務例があり、鑑定方法としても科学性に何ら疑問の余地がない、と述べており、また、船尾鑑定についても桂鑑定と船尾鑑定との検体の違い等から鑑定結果に食い違いが生じても不自然ではない、桂鑑定の顕微沈降反応法と船尾鑑定の輪環反応法とでは、微量血痕に対する鋭敏度が異なり、桂鑑定は船尾鑑定よりも鋭敏度において大幅に勝ること、船尾鑑定の検体については、採取直後に横山によって輪環反応法よりも鋭敏度が高いとされているフィブリン平板法によって人血の反応があったとされたこと等を総合して船尾鑑定の結論は直ちに措信しがたい面もあると判示しているのであって、十介な根拠に基づいて船尾鑑定を採用しなかった理由を述べているのである。

 なお、仮に、本件一審判決の検体の陳旧度に対する配慮の点や検体からの浸出液の濁りをどのようにみるかという点についての判示が表現として不明確であったとしても、輪環試験で血痕の人獣血鑑別をやるとどうしても検体からいろいろな物体がしみ出てきて混濁することはあり得る旨の桂教授の証言及び桂鑑定という有力な証拠があるほか、船尾鑑定についても前記のとおり総合的に判断してその信用性に疑問を呈しているのであるから、個別に船尾鑑定を排斥した部介のみを取り出して、これをもって裁判官の判断として著しく不合理なものであるとは到底いえないし、ましてや、原告主張のように、裁判官が鑑定結果を恣意的に判断することなど考えられない。

 3 原告の異常起行体験供述について

 原告の異常走行体験についての供述は車両の動きを適切にとらえ、実際に体験した者でなければ容易に言い表せないと言うべきものであるうえ、必ずしも、車両の後輪のみに衝撃を受けたとする供述になっているかは判然としないものである。

 また、本件一審判決が右前輪後輪轢過の事実を認定したのは、原告の異常走行体験供述のみによったのではなく、右後輪付着物、事故態様に関係する各鑑定等の各証拠を総合勘案した上での認定であるから、右判決の認定が著しく不合理であるとはいえない。

 4 訴訟手続の問題について

 (一) 布目痕立証

 原告の主張は、原告の主観的な憶測に過ぎないことはその主張自体から明らかである。

 (二) 検問関係証拠の立証

 検察官が立証の必要上、証拠調べの最終段階であっても補充立証の申請をし、裁判所が裁量によりこれを理由ありとして許すことは手続上当然のことであり、本件の場合が特に異常であるとはいえない。

 原告は、本件一審裁判所が検察官に指示、示唆して補充立証をなさしめた旨主張するが、右は原告の単なる推測、憶測にすぎない。

 (三)(1) 佐藤芳賢の期日外尋問について

 佐藤芳賢を期日外に証人尋問したことは、刑事訴訟法に違反しない。

 刑事訴訟法158条1項によれば「裁判所は、証人の重要性、年齢、職業、健康状態その他の事情と事案の軽重を考慮した上」、「必要と認めるときは、裁判所外において、これを尋問することができる」と規定しているところ、本件一審裁判所は、同証人の重要性、その職業上の多忙さなど、同条に定める要件に該当するかどうかを十分考慮した上、同証人に対する尋問をその居住地にある福島地方裁判所会津支部において、原告及び弁護人立会の上、実施したものであって、その措置は、同条に照らし、何ら非難されるべきものではない。

   (2) 佐藤芳賢の員面調書の不開示

 本件一審裁判所が、佐藤芳賢の員面調書の証拠開示命令ないし勧告をしなかったことは、偏った訴訟指揮をしたことにはならない。

 弁護人から一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申し出がなされた場合、裁判所は、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類及び内容、閲覧の時期、閲覧の程度及び方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が、被告人の防御のために特に重要で、これにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させることができるところ、本件は、業務上過失致死罪という単独過失犯であって、事実自体としては複雑とはいいがたいこと、右佐藤芳賢は、本件事故の被害者でもなく、原告に対して敵意を有しているというような状況もないこと、閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申し出がなされている証拠がいわゆる員面調書であることなどから、閲覧が、被告人の防御のために特に重要であって相当と認められるとまではいえないから、本件一審裁判所が、佐藤芳賢の員面調書について証拠開示命令ないし勧告をしなかったことをもって、偏った訴訟指揮となるものではない。

 5 まとめ

 裁判官の職務行為の違法については、裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国賠法1条1項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生じるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不法な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要と解するのが相当であるところ、前記1ないし4を総合すれば、本件一審判決に国賠法上違法となるような特別事情は認められず、違法性がないことは明らかである。

 四 争点三2(本件二審判決の違法性の有無)について

(原告の主張)

 1 情況証拠に関する判断の違法性

 (一) アリバイの排斥について

 原告にアリバイが成立していたことについては、原告の前記主張第5・1(検察官)及び第5・3(一審判決)で主張したとおりである。

 (二) 検問関係証拠について

 本件二審において、検察官が、本件検問表の証拠申請について、その立証趣旨を本件一審とは異なる「検問メモを引写した物の存在とその内容」とし、非供述証拠として申請したので、弁護人は、伝聞法則の逸脱であり違法であるとの反対意見を述べたにもかかわらず、本件二審裁判所は、弁護人の意見を無視して採用した。

 そのうえ、本件二審判決は、熊谷武之巡査が検問に立合い、自ら体験した検問通過車両の通過時刻、通過順序を藁半紙に記載してメモを作成し、さらに、上司の指示で熊谷自身が浄書したものがこの検問表であるから、検問車両の通過の時刻とか通過の順序は正確に記載されていると認定し、引き続き、伝聞証拠の問題について、「一審佐藤腎一証言は証言内容の如き記載のある書面が存することを言うものであって、なんら伝聞に当たらず」と判断して、本件控訴を棄却した。

 しかしながら、本件二審判決は、本件一審判決に対する弁護人の伝聞法則違反であるという批判をかわすために、熊谷が、実際には、上司から藁半紙を渡され浄書しただけであって本件検問には立会っておらず、藁半紙のメモを作成していないことは熊谷及び渡辺正紀の証言で明らかであるのに、当時本署の所属であって上司の指示により浄書に関わっただけの熊谷を検問実施者と認定したうえ、さらに浄書の元となった藁半紙の検問メモの作成者であると事実に反する認定をしたのである。

 2 物証及びその鑑定に関する判断の違法性

 右後輪付着物と本件事故との関連性及び血痕鑑定に関する判断は、本件一審判決の違法を隠蔽するに急のあまり、本件一審判決に輪をかけた裁判官の良識を疑う認定であり、違法を免れない。

 (一) 本件検問時の右後輪付着物の見落とし認定の違法性

 本件二審判決は、「右後輪タイヤ外側面に付着した血液は約半時間の走行によって乾燥し、しかもタイヤのゴムの一部に付着していることで夜間においては単なるよごれとしか見えないことも考えられ、従って事故の具体的態様の連絡がない時点で夜間車体を見分するときは、衝突による車体の毀損というような犯跡とは異なり、タイヤの一部に付着した痕跡が見過されるのはあり得ないことではなく、」と認定しているが、当該判示には全く説得力がなく、さらに、弁護人申請の夜間実験検証を退けておいて、検問警察官が右後輪付着物を見落としたに過ぎないと認定したことは、違法である。

 (二) 防火ライトにおいて右後輪付着物が発見されたとの判断の違法性

 本件二審判決は「文屋巡査部長の指示で日本防火ライト工業仙台工場に赴いた二瓶、斉藤両巡査が、被告人車の右後輪タイヤに血液ようのものを現認していながら、車両をそのままにして署に戻って来たことで、文屋巡査部長から注意を受け、直ちに宇田川巡査らが日本防火ライト工業仙台工場に赴いており、右の経緯に滑らせば、二瓶、斉藤両巡査が前叙の如く22日午前中すでに日本防火ライト工業仙台工場にあった被告人車の右後輪タイヤに血液らしいものを現認していたということができる。」と認定し、更に引き続いて、右後輪付着物が発見されたのは岩沼署においてである、とする、原告の員面調書の記載の問題について「被告人の員面調書には、その旨の明らかな記載はない。」とまで判示した。

 これに対して、本件無罪判決は、

 [1] 車当たり捜査報告書の記載内容の虚偽性を示唆し、

 [2] 二審判決の認定する捜査経過はそれ自体不自然である、

 [3] 防火ライトで右後輪付着物を発見しておきながら、二度日の来訪の際も何らの証拠保全措置もとらずに原告に運転させて移動したということは不可解である。

 としているほか、原告の員面調書の記載の問題についても、原告が右後輪付着物を初めて確認したのは岩沼署においてであると解される、と判示している。

 本件二審裁判所において、本件上告審と同様の判断をすることを妨げる事情は何もなく、本件二審判決の右判断は違法である。

 (三) 江守鑑定・上山鑑定を無視した違法性

 本件二審判決は、轢過態様と右後輪付着物の付着機序について「被告人車の右後輪外側タイヤの外周寄りの部分が地上に横たわる状態でいた被害者の額から頭部前面部分に乗り上げてその部分の皮膚等を剥ぎ取るような形で轢過した結果、右のような損傷を与えるとともに剥がれたものがタイヤ外側面に触れて血痕及び毛髪を付着させたものということができる。」と認定し、さらに江守鑑定については「江守鑑定は右後輪が、前叙の轢過態様と異なり、被害者の頭部から顔面上部にかけての部位に乗り上がった後横ずれすることなくそのまま轢過し去った場合についていうにとどまるものであって採用の限りでなく、」と判示した。

 しかしながら、本件二審判決の認定した右轢過態様は、上山鑑定の「被害者の頭蓋骨骨折の骨折線が前後方向であることなどから、顔面を路面に当てた姿位で、自動車のタイヤに轢過され・・・・前額部の広範囲にわたる剥離を伴う本創は・・・・頭蓋骨骨折にともなって骨折部の前方への移動によって内部から形成されるものである。」との轢過態様とも、明らかに反しており、また、江守鑑定に対しても反対鑑定がないにもかかわらず、前記のように、なんら実証的な裏付けのない本件二審判決の創造にかかる轢過態様と異なるから江守鑑定を採用しない、とするのは違法である。

 (四) 血液予備試験の意義とその結果を肋解する判断の違法性

 本件二審判決は、予備試験の反応が陽性であるということだけで血液であるといえるかのような判示をしているが、それは予備試験の結架について、過失による誤解ではなく意図的な曲解というほかない。

 (五) 船尾鑑定に対する恣意的判断の違法性

 船尾鑑定について、本件二審判決は、鑑定資料は血液であるが高度に希釈されており、また、絶対量が少ないために陽性反応を得ることができなかったとの認定をして、船尾鑑定を排斥しているが、とすれば、鑑定資料そのものを船尾鑑定の人血試験である輪環反応法の鋭敏度一万五千倍(抗血清は抗体値一万五千倍のもの)以上に希釈された血液とみることになり、それは被害者の血液が均一に一万五千倍を越えて希釈された状態でタイヤ外側面に付着していたと認定することになるが、それは本件二審判決が自ら認定した、右後輪付着物の付着機序と明らかに矛盾するものであって、本件二審裁判所は、その矛盾を認識しつつ有罪判断を下したことになり、違法な認定である。

 3 異常走行体験供述の任意性・信用性に対する判断の違法性

 (一) 供述の任意性に関する判断の違法性

 本件二審判決は、原告の異常走行体験供述の任意性の判断において「23日の岩沼警察署での被告人に対する取調の最中に、取調警察官は横山修一から宮城県警察本部鑑識課技術吏員富谷定儀が鑑定した人血であるとの検査結果の連絡を電話で受けているものということができ、従って取調官が被告人に虚偽の事実を告げるという偽計を用いたとの所論は採用の限りではない」と判示している。

 しかしながら、本件二審判決が任意性肯定の前提とした富谷定儀による人血検査・鑑定は、船尾鑑定の結果が出てからその存在が言われるようになったものであり、検査の存在自体の捏造の疑いが濃い。

 本件無罪判決も「富谷技術吏員による検査については、船尾鑑定の結果が出る以前には、そのよう検査が行われたこと自体が血痕鑑定に関する横山技術吏員の証言等にも全く出ていなかったし、横山・富谷両技術吏員の各証言によって、検査の概要が述べられているだけであって、その詳細なデータは保存・提出されていない」と判示し、その存在自体が架空のものであることを示唆している。

 本件二審判決には、右無罪判決と同様の判断を妨げる事情は何もなく、その不合理性を認識しながら認定したのであり違法である。

 (二) 供述の信用性に関する判断の違法性

 本件二審判決は、原告の異常走行体験供述の信用性を肯定している。しかしながら、原告の異常走行体験供述の内容は、明らかに後輪による一回だけのショックであり、被害者が前論、後輪で二回轢過されたという客観的事実と矛盾するものであり、その供述に信用性がないのは明らかであったにもかかわらず、本件二審裁判所は、弁護人の走行実験に関する検証申立を拒絶したうえ、原告の異常走行体験供述の信用性を肯定したのであり、その認定は違法である。

 4 まとめ

 控訴審は、原則として最後の事実審であり、控訴審で救済されなかった被告人は、当然には事実誤認を理由とし最高裁に対して上告することはできないのであるから、控訴審は、最後の事実審として万が一にも無辜を罰することがないように、一審判決に事実誤認がないか、被告人の控訴理由のみならず、控訴審におけるあらゆる主張を十分検討し、慎重な姿勢で審理にのぞむべき義務がある。

 しかしながら、本件二審を担当した裁判官らは、原告の無実の主張に耳を傾けず、逆に、本件一審裁判所の有罪判決を維持することのみに専念し、本件一審判決の事後審査に当たって求められる経験法則、採証法則、論理法則を著しく逸脱し、裁判官に要求される良識を深刻に疑われるような非常識な過誤を犯し、その結果、明由な事実誤認をして、原告の控訴を棄却したが、かかる行為は、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに措いてこれを行使したものであるから、故意又は単なる過失に止まらない重大な過失があり、違法の評価を免れない。

(被告国及び二審裁判官らの主張)

 1 情況証拠に関する判断

 (一) アリバイの排斥について

 本件二審判決は、擦れ違い車両に関する中川の供述を採用して、同人が宮川魚屋付近で擦れ違ったトラックは原告車両といわざるを得ず、原告がバスと擦れ違った地点は「阿賀の川タクシー」の看板付近であるとする原告の供述は措信できないと認定・判断したのであるが、これが著しく不合理なものとはいえないことは、被告の前記主張第5・3(一審判決)のとおりである。

 また、本件二審判決は、右後輪付着物及び異常走行体験供述の評価をも踏まえて右の認定・判断に至ったのであるが、原告の「アリバイの存在」なる主張の成否は、前述したとおり、結局は、原告車両とバスの擦れ違い地点に関する原告の供述の信用性の有無にかかっているのであるから、他の措信しうる証拠及びそれによって認定できる客観的事実関係に照らし、原告の右供述の信用性を否定して、右主張を排斥したのは当然のことであって、なんら、異とすべきものではない。

 以上のとおり、原告車両とバスとの擦れ違い地点についての本件二審判決の認定・判断が著しく不合理であったとはいえない。

 (二) 検問関係証拠について

 本件二審判決は、佐藤腎一証言の伝聞証拠性につき、「佐藤腎一が『死亡ひき逃げ事件捜査に関する車両調査について』と題する報告書を自ら作成していて、その作成経過及びその過程において知り得た事項につき証言しているところは、右証言内容の如き書面が存することをいうものであって、何ら伝聞に当たらない」旨判示している。そして右認定・判示はなんら著しく不合理なものとはいえない。

 たしかに、熊谷巡査は、本件検問に立ち合っておらず、本件二審判決は、その部分の事実誤認を犯したが、そのことから直ちに、本件検問表の伝聞証拠性を否定するために虚偽の事実を認定しているとはいえず、従って、本件二番判決が著しく不合理な判断をしているとはいえない。

 そして、本件検閲表を証拠として採用したことは伝聞証拠排除の原則に反しない。

 本件検問表の作成に当たった熊谷巡査が、本件検問表作成の経緯について証言しているのであるから、本件検問表は、証拠物(非供述証拠)として当然に証拠とすることができるからである。

 仮に、本件検問表の記載内容が要証事実であるとき、その記載が供述証拠として伝聞法則の適用があるとしても、そもそも検問メモは、業務として検問に当たっていた警察官が、検問当時に、後の業務(犯罪防止)に役立てるため、正確に、かつ、主観を交えることなく、客観的事項を順次時間を追って機械的に記載して作成している(本件検問表は検問メモを正確に浄書した、いわば、検問メモの写しと考えられるので、検問メモと同視できる)のであるから、業務過程文書に比肩すべき高度な信用性の情況的保障があり、刑事訴訟法323条3号に該当し、伝聞法則の例外として証拠能力が付与されると解することができることに鑑みると、この点につき、本件二審判決が国賠法上違法となるものではない。

 2 物証及びその鑑定に関する判断の違法性

 (一) 本件検問時の右後輪付着物の見落とし認定について

 本件二審判決は、事故の具体的態様の連絡がない時点で夜間車体を見分するときは衝突による単体の毀損というような犯跡とは異なり、タイヤの一部に付着した痕跡が見過ごされることはあり得ないことではない旨判示している。

 そして、本件二審判決の認定・判断は、被告の前記主張の第5・1(検察官)と同様、相応の根拠に基づくものであり、裁判官の判断として著しく不合理なものとは到底いえない。

 そして、本件検問に従事した警察官に本件事故態様が判明していなかったから、原告車両の前面を中心に見分が行われたため、右後輪付着物が見過ごされた可能性が大きいという認定・判断ができる以上、タイヤに付着した人血が夜間にどのように見えるかという観察検証は必ずしも必要とはいいがたく、当該検証申請の採否は、裁判所の訴訟指揮権の範囲内の問題であり、夜間検証申請を却下したことには何ら違法は存在しない。

 (二) 防火ライトにおいて右後輪付着物が発見されたとの判断について

 左記の事情が認められるため、本件二番判決の認定・判断は、相応の根拠に基づくものであり、裁判官の判断として著しく不合理なものであるとは到底いえない。

 (1) 司法警察員文屋義隆らは50・12・22付の「車当たり捜査報告書」、司法警察員林長は同日付の「血痕及び毛髪らしい付着物採取報告書」、技術吏員横山修一は50 ・12・24付の「現場資料採取報告書」をそれぞれ作成しているところ、これらの報告書によって、右後輪付着物等の押収経緯は明らかであるうえ、これらの報告書が後日作成されたと窺える状況もないこと

 (2) 証拠物と見られるものを発見した場合でも、その発見場所において、常に、かつ、直ちに押収手続が行なわれなければならないというものでなく、任意提出者の利益、証拠物の散逸の危険性等の諸事情を勘案し、場合によっては、最寄りの警察署等において、押収手続をとることもあり得、本件においても防火ライトでの押収手続をとらなかったとも考えられること

 (3) 原告の上司である斉藤富夫の証言によっても、右後輪付着物が、防火ライトで発見されていないとまではいえないこと

 (4) 原告の員面調書の記載から、防火ライトでの右後輪付着物の発見が虚偽であるとの結論を見いだすことが朗雑なこと

 (三) 江守鑑定・上山鑑定について

 本件二審判決は「医師歳野録良作成の鑑定書、同人の検察官に対する供述調書、司法警察員作成の昭和50年12月22日付死体についての実況見分調書によって認められる被害者の額から頭部前面にかけて表皮が挫滅しその皮膚の一部が剥がれ、頭部から鼻部にかけて頭蓋冠骨折を生じ、両眼から下部の顔面は表皮に挫滅はみられないという傷害の状況、司法警察員作成の昭和50年12月30日付実況見分調書によって明らかな被告人車の右後輪タイヤの状況・・・右後輪タイヤ外側の血痕ようのものも付着の状況・・・被告人車の異常走行の態様を併せ考慮」し、右事実に照らして轢過態様についての判示をしたのであるから、相応の根拠に基づく推認を行っているのであり、本件二審判決が著しく経験則、採証法則に反する不合理なものということはできない。

 なお、仮に、本件二審判決の認定した轢過態様によっては、血痕付着機序が十分に説明できていない面があるとしても、江守鑑定の結論に批判的な上山鑑定及び井上鑑定(井上教授の証言も含む。)があるほか、本件二審判決は、原告の異常走行体験供述をも轢過態様を推認する上で考慮に入れており、その観点から、江守鑑定を排斥しているのであって、全く根拠もなく江守鑑定を排斥しているのではない。

 しかも、有罪、無罪の判断は、工学鑑定以外の各証拠との総合的判断の上でなされているものであるから、個別に江守鑑定のみを排斥した部分のみを取り出して、これをもって裁判官の判断として著しく不合理なものであるなどとは到底いえない。

 以上のとおり轢過態様についての本件二審判決の認定・判断は著しく不合理なものとは到底いえない。

 (四) 血液予備試験及び船尾鑑定について

 本件二審判決の判断は、基本的には本件一審判決と同一であり、原告の主張に対する反論も被告の前記主張第5・3(一審判決)と同様である。

 3 異常逆行体験供述の任意性・信用性に対する判断について

 本件二審判決の判断は、基本的には本件一審判決と同一であり、原告の主張に対する反論も被告の前記主張第5・3(一審判決)と同様である。

 4 まとめ

 以上1ないし3を総合すれば、本件二審裁判所の本件二審判決に国賠法上達法となるような特別事情は認められず、違法性がないことは明らかである。

 五 争点四(公務員の個人責任)について

(原告の主張)

 1 左記の理由で公務員個人も不法行為責任を負うべきである。

 (一) 民法において機関個人又は被用者自身の直接責任が民法715条の規定によって排除されておらず、これと対比して、公務員の場合に、別異に解釈して別個に扱うべき合理的理由はない。

 (二) 国賠法1条2項の規定が、民法715条3項と違って、加害公務員の軽過失の場合の求償権の行使を制限しているが、これは、公務員が軽過失の場合には、その限度で直接責任を負わないが、故意または重過失の場合には、原則どおり直接責任を負うことを示すものである。

 (三) 加害公務員に対する責任追及は、公務員に対する国民の監督的作用として極めて有効な手段であり、憲法の民主主義的原理に合致するものであって、また、本来、国民全体の奉仕者であるべき公務員が、故意または重大な過失により国民の権利を侵害した場合には、公務員自身に対して直接責任を追及することが、憲法の基本的人権尊重の原理に合致するものである。

 (四) 公務員の故意又は重大な過失による国民の被害については、国民共通の負担である税金のみによって償うのは不合理で、本来重大な責任を負うべき者の個人的負担とすべきである。

 (五) 本来、重大な責任を負うべきものが、その責任負担の面で、いわば国家の庇護のもとに退き、自らの身を安全地帯に置くことは、道義的に容認しがたく、国民の正義感情を害するし、また、公務員個人に対する直接責任の追及を認めないのであれば、経済的手当てだけでは満たされない国民の権利感情を著しく阻害する結果となる。

 2 起訴検察官及び本件一、二審担当裁判官らの具体的不法行為は、前記各該当部分で主張した事実と同一であり、その違法性は明らかである。

(被告個人らの主張)

 公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人は直接に賠償責任を負うものではないということは確立した判例である。

 六 争点五(損害額)について

(原告の主張)

 前記のような検察官及び裁判官の違法な職務執行により原告が被った損害は次のとおりである。

 原告は、昭和30年生まれで、昭和50年の本件事故当時は20歳の青年であったが、以来平成元年4月21日に最高裁判所で無罪判決を受けるまで22年をこえる長期間にわたり、被疑者、被告人としての苦痛を骨の髄まで味わい、雪冤を果たしたときには34歳になっていた。

 原告は、雪冤のため、12年を越える裁判闘争を余儀なくされ、人生にとってもっとも輝かしいはずの青春をうばわれた。まさに、裁判一色の青春であった。このような原告の筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を慰謝するには、金1000万円を下らない金銭をもってするのが相当である。

 そして、原告は、被告らの責任を問うために、弁護士である本件訴訟代理人らに本件訴訟の追行を委任し、日本弁護士連合合の定める報酬規定に基づく弁護士費用の支払いを約したが、被告らに負担させる弁護士費用としては、請求金額の10パーセントに該当する金100万円とするのが相当である。

第六 争点に対する当裁判所の判断

 一 争点一(検察官の公訴提起及び公訴追行の違法性の有無)について

 1 公訴提起の違法性判断基準

 刑事裁判における被告人は、本来、理念的には「有罪判決が確定するまでは、無罪と推定される」とされてはいるが、現実には、我が国では、起訴されたことそれ自体によって、既に有罪判決を受けた場合と同じほどの社会的評価を受け(我が国では有罪率が99パーセントを越えていることからも頷ける。)、そのことによって被る被告人の有形・無形の不利益は大きく、法律上の不利益処分を受けることもあるから、検察官による公訴の提起は、一応の証拠に基づく主観的な嫌疑のみに基づいて、なされるべきではないものといわなければならない。

 しかしながら、一方において、公訴の提起は、検察官の裁判所に対する、犯罪の成否、刑罰権の存杏について審判(判断)を求める意思表示にほかならないのであるから、必ずしも有罪判決が得られるという客観的確信の存在(刑事裁判官と同じ程度の確信)までを必要とされるものでないことは当然である。

 結局、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により、判決において有罪と認められる嫌疑(蓋然性)が存在する場合においてのみ、公訴を提起すべき職務上の義務があるのであって、それで足りると考えるべきである。

 換言すれば、右程度の犯罪の嫌疑が存在する場合に限って起訴するのが、検察官の職務上の義務であり、証拠の証明力の評価の仕方について通常考えられる個人差を考慮に入れても、有罪の判断が行きすざで、経験則・論理別に照らして、その合理性を肯定できない場合には、かかる公訴の提起は違法となると解するのが相当であり、刑事事件において無罪の判決が確定(本件においては、最高裁での本件無罪判決の確定)したというだけでは、公訴の提起が違法となるものでないことはいうまでもない。

 2 起訴検察官の本件公訴提起の違法性について

 (一) 原告は、起訴検察官が本件公訴提起時点で有していた証拠によると、有罪判決を期待しうる合理的根拠のない違法なものであったと主張するが、その要旨は、左記のとおりである。

 (1) 原告車両は本件事故前に既に事故現場を通過していた、いわゆるアリバイの成立

 (2) 右後輪付着物の付着機序及び轢過態様の矛盾

 (3) 本件検問時における右後輪付着物の見落とし及びその発見等

 (4) 原告の異常走行体験供述に関する取り調べ

 (5) その他、ポロシャツの廃棄処分

 (二) そこで、以下検討する。

 (1) いわゆるアリバイの成立について

 まず、この点については、検察側は、本件上告審においても、バス運転手の供述の信用性を否定して、バスが本件事故現場に到着したときは既に被害者は原告車両に轢過された後であったとの主張を維持しているところであって(乙316)、本件一、 二審判決と立場を異にしていることを看過してはならない。その意味においては、本件一、二審のみならず本件上告審までが一致して信用性を認めたバス運転手の供述を信用しなかったことが、起訴検察官として合理性を欠く判断であったというべきか否かであるが、バス運転手の供述と本件事故後の客観的情況や中川の目撃供述と比較したとき、矛盾するところもなく、すなわち、事故前の情況を述べたものとして信用性を認めるのが自然であるといえるものの、[1] 右供述は、徐行していたとはいえ、走行中のバスの運転席からの観察であること(乙194)、[2] 従って、供述自体被害者の生存を確認した内容となっていない、あいまいな供述であること(乙19 4)、[3] 原告車両と本件事故との関連を示すその他の客観的証拠である横山鑑定(乙168)、阿部鑑定(乙289)と矛盾する供述であること、[4] 更には、原告の異常走行体験供述が存在したこと(乙183、184)、[5] 本件事故と関連する通行車両としては、具体的には原告車両を除いて捜査の対象となる車両の存在が確認できなかったこと(中川の公判供述において冷凍車があらわれるものの、本件公訴提起時の捜査記録では、その存在を親わせるようなものは認められない。)、等の総合的判断をした結果、バス運転手の供述の信用性を否定し、原告車両と本件事故の関連性ありとして、すなわち、原告主張のアリバイは成立しないと判断して本件公訴を提起したものであることが認められる。

 そうであるとすると、本件無罪判決の指摘する捜査段階の問題点(本件検問時での右後輪付着物の見落とし、右後輪付着物の発見経緯、原告の異常走行体験供述及び轢過態様の検討等)があったとしても、それらの矛盾点は、後に詳述するところであるが、公判を通じて(それも本件一、二審が見落した点である)はじめて明らかになったことを考慮すると、起訴時点における起訴検察官としては、右問題点の検討を充分にしなかったとしても、経験則や論理則上、到底首肯できないほどの不合理な心証形成をしたものと、非難することは相当ではなく、本件公訴の提起には、国賠法上の違法は存在しないものというべきである。

 (2) 右後輪付着物の付着機序及び轢過態様の矛盾

 起訴検察官が、右後輪付着物が被害者の血液型と一致したという鑑定結果(横山鑑定・乙168)及び原告事両のラジエーター部分から採取した布目痕が被害者が本件事故時に着用していたポロシャツの布目痕と一致したという鑑定結果(阿部鑑定・乙16 9)を本件公訴提起を支えた重要な証拠の一つとしていたことを認めることができる(被告A本人)。

 しかしながら、これらの鑑定結果を証拠とすることができるのは、これらの付着物及び布目痕等が本件事故の際に付着したこと(つまり、本件事故との関連性)が明らかであることが必要であるところ、本件公訴事実が「被告人車両が時速約40キロメートルで進行し、その右後輪で進路上に横臥していた被害者の頭部、胸部等を轢過した」としていることからすれば、時速約40キロメートルで進行する車両が路上横臥者を轢過した場合、どのような付着機序により、右後輪付着物として被害者の血扱が付着し村るのか、また、布目痕が付着したとされる高さに横臥中の被害者がアノラックの下に着用していたポロシャツが接触しうるのか、さらに、本件公訴事実を前提とすれば、布目痕と右後輪付着物等がともに付着するような轢過態様がありえるのかという各点について疑問が生じ、起訴検察官は、本件公訴提起時において、右各点を十分に検討しないまま起訴したのではないかとも思われる。

 この点について、本件公訴提起時において起訴検察官は、轢過態様については、路上に横臥していた被害者が、原告車両の車体下部に巻き込まれて右後輪で轢過されたという程度の認識しかなく、それ以上証拠に基づく子細な認識は有していなかったことが認められる(被告A本人)。

 しかしながら、他方において、交通事故における轢過態様を正確に把握することは、機械工学的もしくは力学的な観点からの交通事故専門の鑑定結果を待たないと、極めて困難な場合も多く、

 [1] 人体が、自動車に接触したり、轢過されたりした場合に跳ね上げられたり、巻き込まれたり、回転したりすることも往々にしてあると思われること

 [2] 事故の際の付着物等の付着がいわゆる一次付着か二次付着かは明確には判別しにくいこと

が認められる。

 したがって、前記のとおり、轢過態様を正確に把握するためには、専門家の鑑定等を必要とするが、捜査体制における人員、時間、費用に限界がある以上、鑑定を依頼するかどうかはその事件の罪種、被験者の供述内容等その他の客観的証拠関係等を総合して決せられるべきであるところ、前記認定のとおり、捜査段階での横山鑑定及び阿部鑑定がいずれも、被害者に由来するものと解しても矛盾しないという結果を示しており、通常、別個の鑑定資料が互いに事故との関連性を示すことは高い信頼性があると考えても不自然ではないこと、更には、相当関係者の供述から加害車両が原告車両を除いて特定するに至らなかったこと及び原告の異常走行体験供述もあること等を考慮して、起訴検察官は、原告車両を加害車両と判断しえることに合理的な疑いを入れるとまで考えなかったため特にそれ以上の精密な鑑定を依頼する必要性を感じなかったこと(被告A本人)等を考慮すれば、起訴検察官が轢過態様や付着機序について、手持ち証拠以上の精密な検討をせずに原告に有罪の嫌疑があると判断して特段鑑定等を依頼しなかったとしても右起訴検察官の措置及び判断が不合理であったとはいえない。

 また、本件被害者のポロシャツを含む着衣が本件公訴提起以前に被害者の家族に還付され、その者によって焼却処分されていることについては、その関連性を否認する被告人の立場からすれば、反証活動を制限されたという意味において、公正な公判手続を行うことが義務づけられている検察官としては、妥当性を欠く措置ということができるが、翻って検討すると、右還付と焼却の事実は、被告人の有力な反証的資料とも解しうるものであって、かえって、検察側に不利な事実と評価できる部分であり、実際にも、本件一、二審判決においては、布目痕による本件事故との関連は判断されていないこと(甲二、三)に鑑みると、決して望ましい措置とはいえないにしても、右着衣の焼却処分が、その後捜査を引継いだ起訴検察官の本件公訴提起の適法性に直接影響を与えるものとは解されず、著しく不相当とまではいえない。

 なお付言すると、起訴検察官が横山鑑定及び阿部鑑定を踏まえて本件公訴提起に至っていることは明らかであるが、現在の捜査実務においては、捜査段階の鑑定結果をもとにその後の捜査方針等が固められ、捜査が進められるというのが実情であり、警察内部の鑑定であっても、科学的方式等によって得られた鑑定結果に対しては、他の証拠関係から明らかに誤っていると認められるような特段の事情を除き、信用性を認めて公訴提起の手続をしたとしても、なんら違法ではないと解されるところ、起訴検察官が本件公訴提起時に有していた証拠を精査しても、本件公訴提起時においては右特段の事情があったとは認められず、起訴検察官が前記鑑定を信頼したことにはなんらの違法もないと解される。

 (3) 本件検問時における右後輪付着物の見落とし及びその発見等について

 原告車両が本件検問を受けた際、右後輪付着物が発見されなかったことは明らかであるが、本件一、二審においても、その原因・理由については検察、弁護側間で重大な争点とされ、結局は、本件一、二審判決の判断は検察側の理由を是として弁護側の主張をいずれも退けたものであり、その当否はともかく、原告の主張のように公訴提起の段階で、右後輪付着物を「見落としたのではなく」、「存在しなかった」との判断ができた筈であるとの仮説が通常の検察官であれば行えたか否かは、本件刑事記録を精査しても、にわかに即断できず、本件無罪判決の判断を待ってはじめて可能というほかなく、起訴検察官の認識が裁判官と同じ程度の心証を求められるものではないことに鑑みると、その違法を責めることは酷といわねばならない。

 この点を具体的に検討するに、

 [1] 検問にあたった警察官が、本件検問当時、未だ、本件事故態様を正確に把握していなかったと考えられること(乙159、184、296)

 [2] 走行中の車両が歩行者を轢過した死亡事故の場合の多くは、歩行者に車両の前部等を衝突させるという事故態様であり、本件が轢き逃げ死亡事故との報告しか受けていなかった前記警察官らが、主に原告車両の全面を中心に見分して、その痕跡の発見に努めたが、その痕跡が見つからなかったために、右後輪付着物の付着部分である後部車体部分の見分を疎かにしたとしても、検問時間が僅か5分程度の検問としては不自然とはいいがたいこと(乙184、296)

の各点が推定され、起訴検察官が、本件公訴を提起するにあたり、右後輪付着物を検問時に比落としたと判断したことに合理性がないとまではいえない。(なお、本件一、二審判決は、更に見落としの理由を右のほかに述べているが、それらは、かえって、右後輪付着物の不存在を否定するためのもので、証拠資料から必然的に導かれる推定の域を越え、説得力のあるものとはいいがたい。)

 また、原告は、右後輪付着物の発見、採取過程について、あいまいな部分があるのではないかと主張するが、

 [3] 本件において採取されたものは、いずれもいわば道路に流れ出した血液と同じような被害者の遺留物であると考えて採取したのであろうと考えられるが、そのような場合や領置に値しないものが採取されたときには必ずしも領置調書等を正式に作成せずに採取報告書のみでまかなうことも考えられないではないこと

 [4] 本件においては各種報告書等(車当たり捜査査報告書・乙172、血痕及び毛髪らしい付着物採取報告書・乙173、現場採取報告書・乙174、現場採取報告書の送付について・乙185)でその採取過程は、一応明らかにされていること

 [5] 本件無罪判決により、問題ありとして否定されはしたが、本件二審判決において、一応、検察官主張が肯定されていること

等からすれば、起訴検察官が本件公訴提起時において、右付着物の採取過程に問題ないと判断したことが不合理とはいえない。

 (4) 原告の供述の信用性及び取調べの懈怠について

 原告の主張するところは、異常走行体験供述の記戦がある原告の50・12・23員面調書及び50・12・24員面調書が存在する一方で、原告の51・12・6検面調書においては、原告が本件事故を起こしたことを否定する方向へ供述を変更していたのであるから、起訴検察官としては、原告に供述の変遷が生じた理由や司法警察員の原告に対する取調べ情況等を検討し、供述内容の真偽について、再考し、そのために少なくとも起訴前には、原告を直接取調べて異常走行体験供述の弁解を聴取すべきであったと、いうものである。

 そこで検討するに、起訴検察官が本件公訴提起に当たって、

 [1] 原告の員面調書における異常走行体験供述については、なんら身納を拘来されることもなく取調べがなされていること(乙183、184)

 [2] 一通の員面調書のなかに、最初は本件事故を否定するような内容の供述が記載された後、本件車故を認める供述が記載されるなど、取調べの経過に沿った供述調書になっていること(乙183)

 [3] 同じ内容の調書が2日続けて作成されていること(乙183、184)

 [4] 実況見分において、原告が事故現場に極めて近接する場所で異常走行体験を感じた旨指示している一方、原告に異常走行体験の場所の指示説明を求めた際に、先ず警察官から実際の現場はここであるけれども、原告の異常走行体験はどこであるのかというような誘導なり、あるいは現場に事故の痕跡等が残存していて、原告の指示説明に影響を与えたようなことがあったことは実況見分調書等からは規われず(乙28 9、170、196)、原告の員面調書でも、自分の記憶で話したのち実際の事故現場を教えてもらったということになっていること(乙184)

 [5] 原告の異常走行体験供述が、他の轢き逃げ事件の場合の異常走行体験と若干異なった供述内容を持っていると思われるとともに、内容が具体的であって、公訴提起の段階における判断としては未体験者の想像による供述とは認めにくいと考えても無理がないこと(乙183、184)

 [6] 現場付近にある消雪パイプは、高さが約2センチメートルほどであり、原告の異常走行体験供述が、それへの乗り上げと混同したものとは思われないこと(乙159)

 [7] 異常走行体験供述を否定する原告の51・12・6検面調書も、本件事故後1年を経過したあとの供述であるほか、すぐそれに続けて「私の後車輪で轢いているのかもしれません。」と供述し、自分が事故を起こしたのではないかというふうに供述していることが認められ、通常、それまで犯行を認めていたものが一度否認に転じると、再度事故との関連性を認める供述をすることは稀であり、それも任意性が高いと思われる検察官の面前での調書においても、結果的に本件事故と関連する可能性に言及していること(乙195)

などを総合して、原告の員面調書における異常走行体験供述を信用したとしても、その信用したことに、起訴を違法とするほどの不合理性があるとは考えられない。

 そして、起訴検察官は原告の員面調書2通と検面調書の記載を読み比べて、内容が食い違っていることから、直接原告を取調べた鈴木副検事に電話をし、事件についてのいわゆる検察官としての感触というものを尋ねた上で、これ以上原告を取調べる必要がないと判断したこと(被告A本人)、そもそも本件事件は原告の現在地で捜査を行うという検察庁の方針のもと仙台地方検察庁古川文部に事件が移送されて取調べが行われ、そこで検察官による原告の取調べも行われ、一応の捜査が完了し、その時点での証拠で十分公判維持が可能であるとの判断の結果、新潟地検に再度移送され、起訴検察官が主任検察官として起訴するに至ったという経緯(被告A本人)に加えて、前記のとおり異常走行体験供述に信用性があるとしたこと等を考慮すれば、再度の原告取調べが必要でないと起訴検察官が判断したことに、国賠法上の違法は認められない。

 (三) まとめ

 以上のとおり、本件公訴提起時の関係証拠を総合勘案すれば、起訴検察官が、合理的な判断過程により原告に有罪と認められる嫌疑があると判断して、本件公訴を提起したとしても、前記のとおり、本件刑事事件の経緯(本件一、二審とも丹念な証拠調べが行われ、その結果、有罪認定がなされていること)をも含めて考慮すると、右検察官の判断について、国賠法上の違法があるとまで解することは相当でないというべきである。

 なお、原告は、甲4号証(「捜査実務の基本−無罪事件に学ぶ−」司法研修所検察教官室編)を引用し、検察庁自身も本件公訴提起が違法であることを認めていると主張するが、甲4号証は、検察官に対するいわゆる教材として、検察官のあるべき姿を理想として記載しているのであって、その基準が直ちに実務に求められている義務及び国賠法上の違法性の基準を示しているのではないことは明らかであり、甲4号証から本件公訴提起が違法であるということはできない。

 3 検察官の公訴追行の違法性

 検察官の公訴追行は、公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程によって有罪と認められる嫌疑があれば、違法とはいえず、原則として、公訴提起が違法でないなら、その追行も違法でないものと解される。

 従って、公訴提起自体に違法が認められない事実においては、新たに収集された公訴追行時の証拠によって、公訴提起時における証拠関係がことごとく崩され、もはやこれらの全証拠を総合勘案しても有罪と認められる嫌疑が存在しないという特段の事情が認められなければ、その公訴追行が違法であるとはいえない。

 本件の場合、前示認定のとおり、公訴提起時の証拠関係から公訴提起自体が適法であり、また、その後の公判に提出された証拠関係によっても、公判立会検察官が、公訴を維持すべきでない特別の事情、すなわち、別に加害車両が発見された等、明らかに被告人を無罪とすべき事情があったわけではなく、本件一、二審の公訴を維持した公判立会検察官が未だ原告を有罪と認められる嫌疑が有ると判断したことに合理性がないとはいえず(本件上告審で取り消されたとはいえ、本件一、二審判決が有罪を維持している。)、本件公訴追行が違法であると認めることはできない。

 二 争点二(国賠法の対象としての裁判の違法)について

 1 従来、裁判官の職務行為、殊に、裁判官の判断作用の結晶ともいうべき判決、決定等に国賠法の通用があるか否かについては、論議されてきたところであるが、現時においては、国賠法は、旧憲法時代の国家無答責の原則を放葉し、国の公権的作用による被害者の救済を図るため、憲法17条の精神にのっとって制定されたものであり、公権力の一部であることの明らかな裁判行為について、これを特に除外する理由はなく、国賠法1条の文言も「公権力の行使に当たる公務員」と定めるのみで裁判官を除外していないし、国賠法制定の際の国会審議の過程でも、裁判官についての適用は当然のこととして受けとめられてきたことは周知のところであり、当裁判所も、裁判官の職務行為全般について、国賠法が適用されるべきであることを、当然の前提とするものである。

 2 しかしながら、従来の裁判例によると、その多くは、有効に確定した判決と上訴もしくは再審において取り消された判決とを区別することなく、確定判決についても、当然に国賠法の適用のあることを前提としているかのようであるが、後記のとおり、司法制度の本質ともいうべき裁判の独立及び三審制度の理念、または、最終的に確定した判決のもつ様々な効力との比較から見たとき、有効な確定判決と上訴あるいは再審で取り消された判決とを同一に論ずることが果たして妥当であるかについては、疑念を抱かざるを得ず、従来において、漠然と、その通用を肯定してきたことには問題があるといわねばならない。

 もちろん、従来の多くの説が述べるとおり、抽象的には、前訴である確定裁判を国賠法の違法の対象とすることと前訴が上訴もしくは再審により取り消されることとは、その制度目的を異にし、三審制度や裁判の独立の原則に悸るものではないといい得るが、更に、具体的事件に即応して検討してみたとき、上訴もしくは再審手続によらないで、直ちに確定判決に国賠法の適用を認めた場合に生ずる具体的矛盾と弊害について、左記のとおりの各点を考慮せざるを得ず、実際には、多数説の立場に立って確定判決を国賠訴訟の対象とすることを是認したとしても、従来の裁判例から明らかなとおり、有効に確定した判決について、賠償着任を課すべき違法性を見い出すことは希有なことであり、その意味において、確定判決を国賠法の対象の枠に取り込むことにより国民の期待に答えることができる旨の理由は、全く空疎なものであることが明らかである。

 (一) 確定判決に国賠法上の違法を問い得るほどの瑕疵があるならば、その確定前の上訴手続においてその瑕疵を理由に取り消されて然るべきであり、仮に誤って上訴の手続をとらずに確定させたとしても、かかる瑕疵を包含する判決に再審理由の存在しない筈はなく、その理は変わるものではない。当該判決の不当を是正する道が残されている以上、その目的が異なることを理由に、別訴で国賠法の適用を認めることは、実質的には、前訴の有効性を三審制手続の枠外で審理することを意味し、司法自らがその有する制度を否定することに繋がり、自己撞着の論理といわねばならない。

 換言すれば、上訴、再審においても取り消されない判決は、裁判制度の本質上、法的紛争の公権的解決方法として確定の効果を付与されているのであるから、三審手続・再審手続を除いて、他にその不当性を繰り返して訴える道はなく、当然のことながら、制度目的の違う国賠訴訟においても許されないものと解するのが相当である。

 (二) 違法な行政処分について、その取消しを待つことなくその違法性を国賠訴訟で問いうるところから、その対比において、確定判決も同じ公権力の行使であるから、一見、行政処分と区別する理由がないともいえるが、行政処分は、後見的、潜在的に、裁判所の司法審査の対象となるものであってその取消しを待つことなく国賠訴訟の対象となって当然であり、判決手続と同一に論ずることはできない。

 (三) 最も重要な点は、確定判決について、国賠訴訟を認めないと解することによって、確定判決に対する敗訴者の理由のない不満を国賠訴訟に求めようとする不当な濫訴を防止することができるということである。その結果、真に国賠において違法を問うべき事案(真に救済を相当とすべき事実)について、裁判所の充実した審理を期待することができ、かえって、憲法17条の趣旨を全うすることができるというべきである。

 換言すれば、制度目的を異にすることを理由に認められる国賠訴訟においても、結局は、確定した前訴の不当性が争点となるのであるから、前訴の蒸し返しに終始することは必定であり、何故に三審制度を設けたのか、その意義を失う結果にもなりかねず、結局は、国賠訴訟の門戸を広げたとしても、悪意・不法目的という特別の事情をもって、前訴の違法性を極端に制限し、実質的には門前払い同然の形で請求を棄却しているのであるから、なんら国民の期待に答えていないというべきである。

 3 ところで、上訴もしくは再審で取り消された判決が、いかなる場合に国賠法上の違法に当たるかについては、様々に論じられているので、その点についてまず検討することとする。

 (一) 結果違法説について

 前訴裁判が上訴、再審等によって違法として取り消されれば、それによって当然に前訴裁判の違法性は確定され、国賠法上も前訴裁判は違法として取り扱われるべきものであるとする見解がある。

 しかしながら、たとえ、前訴が上訴、再審等で取り消されたとしても、それが、単に事実認定や、法令解釈についての見解の相違に過ぎない場合もあり、そのような場合にまで、国賠法上違法であるとすることは、法が自由心証主義を定めた趣旨を没却し、また、法令解釈についても、時代の変遷、社会的状況の変化により、最高裁の判例で確立された解釈さえも、変更されるものであることは今までの裁判例を検討するまでもなく明白であって、従って、客観的に不変で、かつ、絶対的に正しい解釈というものがありえないことを考えれば、取り消された判決が当然に違法となる見解の不当であることは明らかであり、当裁判所の採用するところではない。

 (二) 違法性限定説について

 裁判官の職務行為が違法となる要件を、裁判官の悪意、すなわち、「不法な目的」をもって裁判を行ったなどの特別事情がある場合に制限する見解がある(ただし、昭 57・3・12最高裁判決が特別事情を限定列挙とするのか、例示列挙としているのかは定かではない。)。

 確かに、国賠訴訟の審理において違法の範囲を限定せずに拡大すると、前訴裁判の審理内容の当否にまで立ち入って、その事実認定及び法令解釈等の違法性を審理することになり、前訴裁判の裁判官が別訴の裁判官から自己の行った裁判の審理内容を検証され、司法権の外部からはもちろん内部からも一切の圧力を受けないという「裁判の独立」が犯されることになるとの懸念が生ずる。

 しかし、右のように「不法な目的」を要件と解した場合、国賠法1条1項が明文で「故意又は過失」を要件としていることと整合しないと考えられるのみならず、裁判の独立に基づく本質論は、有効に確定した裁判については、当てはまるとしても、前記のとおり、上訴や再審により取り消された判決についてまで、それによる保護を必要とすべき理由は見出しがたく、右の考え方をもって、違法を限定することの正当な理由となるものではない。

 更に、裁判官が重大な過失により事実誤認した場合までも、それの是正のためになされた上訴による損害について、これを当事者に自己負担させるべき理由(仮に些細な額であったとしても受忍限度論をもって、片づけられるものではない)はなく、悪意のないことを理由に請求を棄却するのは不当な処分であって、その損害は原則的に国家が負担してこそ、裁判の適正手続の保障を実現することになるというべきである(その意味においては、刑事補償法が身柄を拘禁された者に限って補償することにし、非拘禁者に対しては何ら手当てしていないが、刑事補償法が制定された昭和25年当時はともかく、経済大国といわれる今日の我が国の現状においては、刑事被告人とされて損害を被らない者があろう筈がないのであるから、拘禁、非拘禁を問わず、全ての刑事被告人に対して、相応の補償を検討すべきであるとともに、実際には、画餅と化している国賠法の賠償責任に基づく損害填補制度に終止符を打つべく、過誤裁判一般に対する補償制度への道を開くべき時であろう。)。

 そのうえ、後述するように、裁判手続上、普通の裁判官の過失はあり得るものといえても、当事者に村して悪意をもって裁判する裁判官が存在するなどということは、例えとして引用されることはともかく、現実の普通の裁判所に起こりうることは希有なことであり、仮にあり得たとしても、その立証は裁判官の内心の開示を求めることであって不可能を求めるに等しいものといわねばならず、その意味からすれば、たとえ、裁判の本質論やそれの内在的制約によりその違法性の認定が至難であることを理由として、違法性を悪意の場合に限定することは、結局は、裁判官を国家賠償の対象から除外する、いわば、聖域に置く論理そのものであり、裁判が国民から負託されたものであることを忘れた論理との非難は必定であり、そのうえ、客観的に明らかな誤りを冒した裁判官を正当化する身内の論理と極論される懸念さえあるというべきである。

 よって、当裁判所は、違法性を特別事情に限定する右の立場には賛同できないものである。

 (三) 当裁判所のとる違法性判断基準

 以上を前提に、裁判官の職務行為の違法性を検討するが、本件「二審判決で問われている違法性は、刑事裁判の事実誤認における違法性であるから、以下、その点にしぼって論ずることとする。

 一般に法令解釈は、いずれの解釈が当該事例の解決に適しているかの判断作用、すなわち、価値判断に基づく当てはめの作業であり、それぞれのよって立つ立場の違いによって分かれる価値判断に拘束され、その時点で最適の解釈として採用されたとしても、その解釈の正当性が普遍的である筈がなく、時の経過や社会の変化によって変更される運命にあるものであって、絶対的基準によってその是非を定めることは不可能というべく、その意味において、解釈の実体的当否を第三者が決めることはできない性格のものと考えられる。

 それに反して、認識としての事実認定は、その前提としての複数の証拠からの選択という判断作用を伴うとしても、あるべき認定を想定すること及びそれからの乖離の程度をもって認定の当否を実体的に判断することが可能であり、評価作用の幅は限られているから、時間的・場所的制約を受けることなく普遍性があると考えられる。換言すれば、法令の解釈問題と異なって、比較的第三者の判断に相違が生ずるおそれは少ないと考えられる分野である。

 その意味において、事実誤認における違法の評価は、違法性限定説の憂慮する問題は起こりえないといえるであろう。

 しかし、だからといって、事実認定の前提問題である証拠の採否(信用性の有無)については、自由心証主義による裁量としての判断作用が介在し、その裁量の範囲でそれぞれの異なる証拠の採否及びそれに繋がる事実認定が行われ、結果である事実認定そのものに差異が生ずることは避けられず、従って、一審において甲と認定された事実が、二審においては乙と認定される場合があることは、経験別上明らかであり、これをもって違法となるものでないことは、前記結果違法説の不当として検証済みのところである。

 であるならば、違法か否かを判断する基準はどこに求めるべきかであるが、刑事裁判には、民事裁判と異なっ裁判を行うに当たっての行為規範とされる「疑わしきは罰せず」または「被告人は無罪の推定を受ける」旨の原則を遵守することが要請されているのであるから、これに著しく違反して行った証拠の採用及びこれに繋がる事実誤認は、上級審において取り消されるのみならず、国賠法上も違法性が認められると解するのが相当である。

 これに村して、被告国は、裁判というものの性質、不当な裁判の是正のための上訴制度及び再審制度の仕組み、裁判における事実認定や法令解釈の相対的性格等を理由として、刑事事件における裁判官の行為規範を国賠法の違法判断に持ち込むことは、裁判の違法に関する国賠訴訟の基本構造を正しく理解しないものであると非難するが、他方で「国賠法の違法に当たる裁判官の措置とは、その是正が上訴又は再審によるべきものとすることが不相当と解されるほど著しい客観的な行為規範への違反がある場合をいうと解すべきである。」旨述べていることから見ると、一応、著しい客観的な行為規範違反については、国賠法上の違法を認めていると理解できる。

 問題は、そこでいう「著しい客観的な行為規範への違反」とは、「その是正が上訴又は再審によるのでは不相当と解されるほど」の「著しさ」を基準としており、結局のところ、その違法性判断基準の実体は、違法性限定説のいう「不法な目的をもって」と同程度の違法に帰着するのであろうか。

 ところが、原告も容認しているとみられる「著しく経験則及び採証法則に違反した場合の事実誤認」または「著しく不合理な事実認定」と比較したとき、表現の上では、一見しただけでは、その差異を見出しがたく、従って、さらに、その「著しさ」の幅を具体的に吟味して、どの程度の「著しさ」をもって、違法というのが相当であるかの検証が必要であるというべきである。

 すなわち、被告主張の「著しさ」が違法性限定説に近いのに対して、原告主張のそれは「普通の裁判官なら合理的疑いを抱く程度の事実誤認」までをも包含しており、同じ「著しく」の表現を用いながらも、そこにはかなりの差異がみられ、これでは具体的事実の目安としてはなんら機能していないからである(つまり、同じ「著しく不合理な事実認定」という表現を用いたとしても、普通の裁判官なら到底考えられない、容易に想像できないような事実誤認をしたような場合に至って初めて「著しく不合理である」と評価するような場合--これを比喩的に数字で表現すると、約95パーセント以上の裁判官がそのような事実誤認はしないであろうという程度と言い表すことができる--と、普通の裁判官が合理的に考えれば、そのような事実誤認はしないのではないかと思われる場合も「著しく不合理である」と評価する場合--同じく数字で表現すると約60パーセント以上の裁判官がそのような事実誤認はしないであろうという程度と言い表すことができる--のように、かなりの幅がある。)。

 そこで、当裁判所が国賠訴訟の違法性の基準として、具体的にどの程度を「著しく不合理な事実認定」と評価すべきかを検討してみる。

 一般的には、普通の裁判官であれば、冒さないであろうと推定される程度を超えて行った行為、これを「著しい」行為と定義することについては、異論がないといえるであろうから、それを分かりやすく数値に置き換えるとすれば、二分の一を超えただけでは到底足りず、少なくとも四分の三を超える割合をもって、初めて「著しい」との基準に適合するものと解するのが相当であろう。

 つまり、普通の裁判官の少なくとも四分の三以上の裁判官がそのような事実誤認を冒さないであろうというような場合には「著しく不合理な事実認定」として、違法と評価してよいであろう。

 そして、それ以外の事実誤認については、自由心計主義の結果、結論が分かれたに過ざないと評価することができるのであって、その場合にも国賠法上達法であると評価することは、自由心証主義の否定に繋がり、裁判の独立を犯すことにもなろう。

 以上のように解することによって、裁判における事実認定の相対的性格等を理由とする違法性判断の困難さを考慮したとしても、違法性を特別事情のみに限定する論理的必然性はなくなったということができる。

 右に従って、具体的裁判行為に当て嵌めるとすると、普通の裁判官の少なくとも四分の三以上の裁判官が、合理的疑いをもって無罪の事実認定をしたであろう事実について、誤って有罪判決をした場合には、「著しく不合理な事実認定」として、国賠法上の違法があると認定される(もちろん、具体的に右四分の三をどのようにして検証するのか、また、四分の三の裁判官の事実認定を検証できるのか、という問題はあるが、右数字はあくまで比喩的な表硯で「著しく不合理な事実認定」という場合の「著しさ」を数値で表現したにすぎないのであり、右数字に厳密な意味があるものではない。)。

 (四) 訴訟指揮についての違法性

 ところで、原告は、本件一、二審判決の事実誤認のみならず、右一、二審における訴訟指揮についても、その違法性を主張するので検討するが、訴訟手続上、違法な訴訟指揮が行われ、それにより事実誤認もしくは法令解釈の誤りを冒した場合、事実誤認もしくは法令違反とともにその訴訟指揮の違法性が問われることがあるとしても、訴訟指揮が独立して単独に国賠法上の違法を問われる理由はなく、原告の主張する訴訟指揮の違法性は、結局のところ、主張する事実誤認の原因としての訴訟指揮の違法をいうにすぎないものというべきであって、独立して判断を要しないものというべきである。

 4 まとめ

 以上によれば、裁判官の職務行為の違法性判断基準は、上訴もしくは再審によって取り消された裁判について、普通の裁判官の少なくとも四分の三以上の裁判官が合理的に判断すれば、当時の証拠資料・情況の下では、到底そのような事実認定をしなかったであろうと考えられるほど、著しく行為規範、経験則、採証法則を逸脱した不合理な事実認定をした場合に国賠法上の違法があると解するのを相当とするものである。

 三 争点三1(本件一審判決の違法性)について

 1 原告主張の本件一審判決における故意の違法性について

 ところで、原告は、本件一審の担当裁判官らが(本件二審も同様)、証拠上、原告を有罪とするには無理があるとの認識をもちながら、むしろ、無罪であるとの心証を有していたのに、あえて有罪判決を言渡したものであり、右事実認定は、いわゆる故意による不法行為に該当するから、従来の最高裁判決(昭57・3・12)が違法性の要件とする特別事情が本件一審判決にも存在する、と主張する。

 そこで検討するが、原告の主張する無罪の心証の基となるべき証拠とは、後述のとおり、本件無罪判決の指摘する合理的疑いの残る証拠関係をいうにとどまるものであって、結局は、右無罪判決の指摘の範囲を超えて、極端に拡大して主張する独自の見解に過ぎず、あえて最高裁の特別事情論に符合させるとともに、観念的には、故意が主観的違法要素であってそれの立証のためには、当該裁判官らの尋問が不可欠であるところから、その人証調べを従来から要求してきた原告の目的達成の手段として、構成したに過ぎないものと推定せざるを得ないものであり、かかる主張自体失当であることは明らかである(そもそも、前述のとおり、違法性の判断基準を行為規範基準説にとる以上、当該裁判官の人証調べを求める必然性は全くなく、それを求めることは、刑事裁判の不満を単に弾劾することを目的とするか、はたまた、裁判の違法を立証できる客観的証拠の乏しい事件を意味し、原告自身が国賠法上の違法が存在しないことを主張するに等しく、真摯に国賠訴訟を行う意図のないことを推定させるものである。)。

 2 本件刑事事件の特徴について

 まず、本件事故の大きな特徴としていえることは、本件事故の発生を直接目撃した者が記録上存在しないことであり、その結果、今日に至るまで、本件事故の真の加害者が誰であるかについては、本件刑事記録の精査及び本件国賠訴訟を通じても、未だに不明であることであり、本件刑事記録にある証拠関係においては、後述のとおり、客観的に誰が見ても、原告車両が加害車両ではあり得ないことを明らかに示す単独の証拠が存在しないこと(本件事故前の情況を推定させるバス運転手の供述と原告のバス擦れ違い供述を付き合わせてみて事故との関連を否定することはできる。)、従って、本件上告審と同様に「合理的疑い」をもって関連証拠資料の評価を行わない限り、捜査段階を通して加害車両と推定される何台かの事故時の通過車両の中では、原告車両が加害車両に近い位置にあると推定され得る情況にあった、すなわち、轢過車両と推定される何点かの情況証拠の中に置かれていたことは否めない事実であるといわねばならない。

 3 本件一審判決の事実認定について

 本件一審判決の有罪認定の理由構成は、左記のとおりであることが認められる(甲 1、2)が、本件無罪判決の指摘するところによれば、それらはいずれも合理的疑いの残る事実認定であり、原告は、それらが国賠法上の違法に当たると主張するので、以下検討する。

 (一) 車故現場を通過した関係各車両の通過時間・擦れ違い地点等を中心とした検討結果から原告車両を轢過車両と考えざるをえないこと(以下「情況証拠に関する事実認定」という。)

 (二) 物証及びその鑑定結果により、前後輪付着物には、被害者と同じ0型の人の血絶と毛髪が含まれていたことが認められること(以下「物証及びその鑑定結果に関する事実認定」という。)

 (三) 原告の異常走行体験供述は信用できること(以下「原告の供述の信用性の問題」という。)

 4 情況証拠に関する事実認定

 (一) 本件一審判決は、先ず、物証及びその鑑定結果並びに原告の異常走行体験供述等の証拠を除いた、事故現場を通過した関係各車両の通過時間・擦れ違い地点等を中心としたいわゆる情況証拠のみをもって、原告車両が轢過車両であると認定していることが認められるが、その前提判断として、

 (1) 中川の擦れ違ったトラックが轢過車両であると判断して、そのトラックが原告車両である。

 (2) 本件検問の結果、検問通過車両の中に轢過車両があるとの前提で原告車両を割り出した。

 (3) バス運転手の供述及び事故前の被害者の行動を目撃した者の供述等と原告のバス擦れ違い地点に関する供述を比較検討したとき、その間に矛盾点があり、原告の供述に信用性がなく、原告のアリバイが成立しない。

等の検証を行っている(甲2)。

 (二) 右認定の問題点は、いずれも客観的な証拠に基づくものではなく、人の認識・判断を内容とする供述の総合比較に依拠しているものであって、合理的経いを踏まえて吟味すれば、全てがその信用性を否定できる可能性を含んでいるものということができ、その中から信用性のある証拠に基づいて有罪の事実認定ができるか否か検証することになるが、その判断過程において信用性の存否を判断する基準は、ひとえに刑事裁判官に求められている「疑わしきは罰せず」の行為規範のみということができる。

 しかしながら他方において、刑事裁判官としては、安易に右の行為規範に寄り掛かって真の犯人を見逃してはならないとの命題も課されているわけであって、与えられている証拠関係の中から被告人と真犯人との結びつきを推定させるいくつかの証拠がある以上、それを否定する証拠との優劣(信用性もしくは評価の高低)を判断して採否を決断すべきであるが、その決断に当たり、前記二つの命題の狭間にあって、何方に重きを置いて採否を決するのが事件全体の見通しに合致するか、換言すれば、事件の大局的見地からバランスのよい結論といえるかが問われているのであって、大局的見地にウェイトを置き過ぎると、個々に内在する疑問(これがいわゆる合理的な疑いというべきか)のある証拠関係からその疑問を消去する手法(論理的推理に基づく矛盾の存在から信用性の否定へと発展させる)を用い、観念的に合理的疑いを消し去って大局的見地に見合った事実認定を行うことになるものと思われる。かかる手法が刑事裁判に持ち込まれてよいとは到底是認できるものではないが、従来の刑事裁判一般に、このような手法が行われてきたことも否定できないというべきである。

 (三) 本件においてそれを見るに、もともと、供述の正当性は、前述したとおり、他の客観的証拠との比較において証明される部分であるから、供述に重きを置いて事実認定すること、特に他の判断からの検証の余地を残さないほどに断定することには慎重であるべきであるが、本件一審判決は、この部分において、原告車両を轢過車両と認定するために、部分的に矛盾するところを切り捨てる処方を採用したところに問題があったということができる。

 それに反して、本件無罪判決は、個々の証拠関係に内在する矛盾を他の証拠で潰していくのではなく、逆にその矛盾に合理的疑いを残しながら、その合理的疑いの範帥を全体にまで広げ、その結架、破棄自判するに至ったものであることが窺われる。

 (四) したがって、本件無罪判決が指摘するように、本件一審判決は、中川供述を信用して、中川が最後に擦れ違った車両について、対向車両は宮川魚屋付近で擦れ違った一台だけであり、他になかったと認定しているが、自動車運転者が片側一事線道路で対向車と擦れ違う場合、擦れ違いの際の接触の危機を回避するべく対向車の通過を待って一時停車をしたなどという特別の車情を除いて、対向車の台数、車両の形体等について意識していないのが通常であり、倣に意識していたとしても記憶に残ることはほとんどないというのが常識であって、このような対向車に対する認識のあいまいさを考慮すれば、少なくとも、別のトラックの存在する可能性を払拭することはできない、換言すれば、合理的疑いが残る部分であるというべきである。

 しかし、この点について、本件一審判決は、中川供述を子細に検討し、

 (1) 現場より約2キロメートル会津若松市よりにある平堀の元ボーリング場付近でバスに追い越されたこと、現場より約450メートル会津若松市寄りにある宮川魚屋付近でトラックと擦れ逢った後は本件事故現場に至るまで擦れ違い車両はなかったことを一貫して供述していること(中川の員面調書・乙177、中川の証人尋問調書・乙221 「不審車両の聞き込みについて」と題する報告書・乙191)

 (2) 当日は父の命日であったのでその日の事はよく党えている旨供述し、実際に追い越していったバスには乗客がいなかったことまでよく覚えていること(乙177、2 21、斉藤操の員面調書・乙194参照)

 (3) 午後9時過ぎという時間帯であり付近の場所及び交通情況等からしてそれほど車の行き来はなかったであろうと思われる

ことを理由に、中川の擦れ違い車両についての供述を信用できるとし、擦れ違い車両は宮川魚屋付近で擦れ違ったトラック一台であると認定している(甲2)。

 以上の判断手法が、前述するとおり、刑事裁判官の行為規範である「疑わしきは罰せず」に照らして問題があるというべきであるが、加害車両として原告車両の他に通過車両を想定することが困難な当時の証拠資料及び情況のもとでは、経験則上、普通の裁判官の事実認定として同様の手法が採用される可能性を否定できず、前記行為規範に「著しく違反した」と評価することはできない。

 (五) ところで、原告は、本件一審判決が、中川の目撃したトラックが原告車両であると認定するためには、中川の検面調書(乙197)を刑事訴訟法321条1項2号後段により採用しなければならないところ、右検面調書には特信性がないことが明らかであるのにそれを採用したことは違法であると主張する。

 たしかに、中川の第7回公判での供述を素直にみてみると、擦れ違ったトラックの形状については検察官の例示を用いた質問に答える形ではあるが、コンテナか冷凍車のような感じのものと供述していると認めることができる(乙221)一方で、逆に、その公判供述の約2か月前に検察官に対し、「トラックは幌付きかどうかは分からないが、その幅から考えて4トンクラスの大きさのもので、少なくとも冷凍事のようなものではなかった。冷凍車なら角張って銀色に見えたりすると思うが、そういうトラックではなかった。」と供述していること(乙197)から、検面調書と公判供述の相反性が問題となり、どちらの供述が相対的に特信性があるかが問題となる。

 本件一審判決が右検面調書に特信性を認めた理由は、

 (1) 第一四回公判において、当時の記憶に基づいて検面調書に署名押印したと供述していること、また、警察での証言(員面調書と「不審車両の聞き込みについて」と題する報告書)が正しい旨供述していること(乙177、191、236)

 (2) 擦れ違い車両の形状について、コンテナか冷凍車のような感じのものと供述したのは第7回公判においてだけであるうえ、右供述も検察官が質問で例示としてあげたトラックの形態をただ追認しているだけのようでもあり、中川が自ら積極的に冷凍車またはコンテナ車であると述べてはいないなどその供述自体にいささか不明碓な点があると考えることができること(乙221)

 (3) 事故直後から一貫して4トン程度のトラックと擦れ違ったことを述べていること(乙177、191)

 (4) 事故目撃後まもない昭和50年12月25目に作成された前記員面調書(乙177〉によれば、中川はトラックがクランクを曲がってくるところを目撃しているのであるから、トラックの形状は容易に認識できたであろうと思われるにもかかわらず、比較的特徴をつかみやすいと思われる冷凍車の類を指示していないこと

 (5) 第7回公判では、員面調音と異なる供述との食い違いを弁護人から指摘され、調書の内容が正しいと訂正したり、事故現場での被害者の位置や姿勢についても、現場の客観的状況と異なる供述をするなど、同人が初めて法廷で証言することでいささか冷静さを失い自己の記憶を正しく再現しえなかった傾向が親われること(乙177、221)

等であるが、右は特信性の存否を判断する前提判断に関するものであるから、独立した事実誤認の問題ではなく、これをもって、著しく経験則・採証法則を逸脱した不合理なものと評価することはできない。

 (六) また、原告は、中川の員面調書が他にも存在し、その中で擦れ違い車両が冷凍車であるとの記述がされている筈であり、本件一審裁判所は、それを公判に提出させないで中川の検面調書を採用したと非難するが、この点については、本件一審裁判所が第23回公判で検察官に各書証の存在の有無の調査を勧告し、検察官が次の公判及び56・10・27付意見書で提出済の員面調書以外には存在しない旨回答していることの他に中川の各調書及び法廷での供述からも他に員面調音が作成されていることを窺わせる事実は認められず、原告の右主張は理由がない(乙41、43、177、197、112、2 36)。

 (七) 検問通過車両関係証拠について

 (1) 本件一審判決の判断

 本件一審判決は、佐藤芳賢の証言等により、西会津派出所前で約5分ほど停車して検問を受けてから発進した原告車両と入れ違いに佐藤芳賢運転のトラックが右検問場所にさしかかったこと、佐藤芳腎は、事故直後に新渇市方面から本件事故現場にさしかかり、そこで、他の車両とともに事故処理を待ったあと先頭となって会津若松方面に向かって発進し、検問場所まで他の車両を追い越すことも、逆に他の車両に追い越されることもなく走行したこと、国道49号線の事故現場から、検問に至るまでの間には、トラックが通り抜けられるようなめぼしい枝道は存在しないなどの事実が認められ、これらの検問関係の証拠等によっても、原告車両が轢過車両であることを否定できないとして、この点からも犯人性を特定していることが認められる(甲2)。

 (2) 本件無罪判決の指摘

 ところが、本件上告審は、本件一審判決の右事実認定について、国道49号線の事故現場から本件検問場所迄の約26キロメートルの区間を走行する車両の順序は国道上での追い越しや追い越されがない限り変わらず、事故現場を会津若松市方面に向かって通過した車両は必ず検問場所に行き着く筈であることを前提にしていることが明らかであるところ、関係証拠によると右約26キロメートルの区間には少なくとも四本の県道レベルの脇道があるほか、その他の小さな脇道や駄車スペースも多数あることが現われ、轢過車両はたとえ脇道から遠方へ通り抜けてしまうことが困難であったとしても、脇道等を利用して後続車との走行順序を変えることは容易であり、また、ユーターンして新潟市方面に戻ることも不可能ではないから一審判決の前提そのものが成り立たないのではないのではないかと指摘する(甲1)。

 (3) そこで、この点について検討するに、

 [1] 原告も事故現場から検問場所までは追い抜いたり追い越されたりしたことはない旨供述していること(乙266)

 [2] 佐藤芳賢が、国道49号線は交通量は余り多くなかった、事故現場から検問場所まで追い越しも追い越されもなかった、検問場所についたときに丁度原告車両(と思われるトラック)が発進して行った、事故現場から検問に至るまでに対向車はなかった、国道49号線には枝道があるが、枝道から入ってくる車も含めて同一方向に向かう車はなかった、途中から入ってくる事を追い越すことがなかった旨供述していること(乙269)

 [3] 50・1・27付捜査報告書によれば、事故現場から本件検問場所迄は4本の県道が枝分かれしているが、それぞれ、途中までしか開通していなかったり、行き止まりになっていたり、山道でほとんど交通量がなく冬は通れなくなっていたり、道路状況が悪くほとんど車が通らない道であるとの報告がなされていること(乙201)

等の事情を総合勘案すると、原告車両の他に轢過車両があるのではないかという可能性を検証しなかったとしても、本件一審判決の当該認定・判断が著しく経験則・採証法則を逸脱した不合理な事実認定であると認めることはできない。

 (4) 佐藤賢一供述の伝聞証拠性について

 ところで、原告は、警察官証人佐藤賢一の証言の採用について、この証人は本件事故当時は全く捜査に関与せず、赤松検察官に命じられて昭和56年暮れから本件補充捜査に従事したものであるところから、弁護人は、伝聞証拠を理由にその採用に反対したにもかかわらず、本件一審裁判所は同人を採用し、検問通過車両の通過時刻と通過順序を認定し、轢過車両は原告車両以外にないと断じたことは、法が証拠として許容しない伝聞証拠を用いた違法な有罪認定であると主張する。

 しかし、右佐藤が本件検問を直接担当した警察官ではないものの、公判段階になって、補充捜査の一環として本件検問表に基づき、新渇陸運事務所において車体型式などの車両の種類を調べ、「死亡轢き逃げ事件捜査に関する車両調査について」と題する報告書を作成しており、その関係から右報告書の作成経緯及びその過程で自ら知りえた事項を証言したものであって、その証言内容が伝聞供述にはあたらないとする考え方が、必ずしも成り立たないものではなく、右伝聞証拠に関する法律解釈が著しく誤ったものであるとまで解することはできない。

 (八) アリバイについて

 (1) 本件一審判決が原告のアリバイの成立を否定した事実認定について、本件無罪判決は、原告の供述の信用性について左記の各点を指摘し、その点を考慮すれば、原告とバスの擦れ違い地点に関する供述の信用性は、結局は、右後輪付着物、異常走行体験供述の評価を抜きにしては判断しえないとしている(甲一)。

 [1] 原告の当該供述は、かなりの根拠を伴っており、少なくとも原告以外の者の同種供述よりもその根拠が薄弱であるとはいえない。

 [2] 事故現場から新潟交通津川営業所までの間に「阿賀の川タクシー」の看板と見誤るようなものが存在していたという証拠はない。

 [3] 原告は、当該供述をする前にバスの運転手がどのような供述をするかは知る由もなかったのであるから擦れ違い地点についての供述に作為が入り込む余地はない。

 (2) そこで、本件一審判決が原告のバス擦れ違い供述の信用性を否定した理拍について、以下検討する。

 第一に、バス運転手の供述との比較において「被告人は、一貫して路上に被害者の姿を目撃していないというが、これに村し、その直後に対向して現場にさしかかった定期バスの運転手は被害者が路上に横臥しているのを目撃している。・・・・現場から阿賀の川タクシーの看板までは220メートルしかないのであるから被告人が現場通過後、約23・4ないし31・2秒でバスが到達することになるはずであるが、被告人は被害者を目撃していないというので供述に疑問が生じる。」旨判示しており、原告の供述どおりだとすれば、当然に事故に遇う前の被害者の姿を目撃するはずであるとの疑問を抱いていることが認められ(甲2)、この点には一応の合理性があり、特段不合理なことではないと解される。

 第二に、本件一審判決は左記のとおり、二つの仮説をたてて検討のうえ、原告のアリバイを否定している(甲2)。

 [1] 原告が事故現場を通過後、バスが到達するまでの間に被害者が路上に進出し、転倒した可能性について

 被害者は「あたらしや」の前辺りで道路中央線方向に進出し、事故現場まで少なくみても約20メートル以上をぶらぶらとよろけながら、酩酊、歩行して、その場に転倒、横臥したことになるが、被害者の酩酊の程度からして、23・4ないし31・2秒の間に右一連の行為をとることは経験則上到底考えられない。

 [2] 原告の見落とし

 すでに被害者が事故現場に横臥していたとすると、そこを通るためには、左に大きく避けなければならないのであるから、現場の状況から考えれば見落としは考えられない。

 右の点に関して、原告は、そもそも被害者の事故前後の行動が明確ではなく、本件一審判決の認定した被害者の車故前の行動自体が前提を欠くものではないかと主張するが、本件一審判決は、目撃者波多野の供述、バス運転手の目撃情況、及び被害者の酩酊度等を総合して詳細に検討した結果、被害者は「あたらしや」の前あたりで道路中央線方向に進出し、津川農協前の事故現場まで少なく見ても約20メートル以上にわたる距離をぶらぶらとよろけながら酩酊、歩行して、その場に転倒、横臥したと認定・判示しており(甲2)、この事実認定が原告のアリバイを否定するためのものとしては仮説を含んだもので、依然、疑問が残るといわざるをえないが、著しく経験則・採証法則に反するものと解することは相当ではない。

 なお、茂野録良の鑑定書(乙162)及び同人の検面調書(乙163)によれば、被害者のアルコール濃度は、血中0・362%、尿中0・420%であり、通常の人であれば、かなりの酩酊状態にあり、歩行困難、意識不明瞭、思考力減退の状況にあるとされており、また、50・12・24付報告書(乙192)及び波多野の供述(乙238)によれば、被害者が泥酔状態であったことが認められ、そのような泥酔状態で23・4ないし31・2秒の間に約20メートル以上にわたる距離を歩行のうえ、その場に横臥するという一連の行動をとるということは、経験則上考えられない、と認定・判断したことはあり得ることというべきである。

 また、右の点に加えて、本件無罪判決の前記指摘と異なって、実況見分調書添付の写真等(乙159、160、170)をみると、事故現場付近には「阿賀の川タクシー」の看板と同じような大きさ、形の看板が数多く設置されていることが窺われ、原告が「阿賀の川タクシー」の看板の存在を特に意識して走行していたことに疑問を呈した本件一審判決の判断にも首肯すべき部分もあり、「阿賀の川タクシー」の看板付近で擦れ違ったという原告の供述の信用性を否定したことが著しく経験則・採証法則に反しているとは認められない。

 さらに、原告は、原告車両とバスとの擦れ違い地点の問題について、本件一審公判において検察官、弁護人間で争いの無い事実であったのであり、検察官、弁護人間に争いのない事実と違う事実認定をするには、被告人に防御を尽くさせるために争点を顕在化させるべきであり、これを怠って、不意打ち認定をした本件一審判決には、違法があると主張するが、検察官が擦れ違い地点に関する原告の供述の信用性について特に異を唱えなかったからといって、そこに民事裁判における自白のような擦れ違い地点の認定を固定する効果が生ずるものではなく、裁判所としては、原告の右供述の存在にかかわらず、その供述の信用性や他の証拠との関係で裁判所の自由心証において、自ら擦れ違い地点を認定できるのであり、結局は、原告の前記供述の信用性の問題に帰するのであるから、裁判所としては、民事裁判における要件事実に関して争いがある場合のように必ずそのことについて当事者の攻撃防御を尽くさせたうえで判断を示さなければならないというわけではなく、刑事裁判における事前の訴因の変更の問題でもなく、自由心証の範囲内において判断できると解釈したとしても、特段、国賠法上違法となるものではない。

 5 物証及びその鑑定結果に関する事実認定

 前記認定のとおり、本件一審判決の理由構造によると、前記4のいわゆる情況証拠関係から、原告車両が轢過車両であると認定できるとしながら、更に、原告車両に残された物証及びその鑑定結果からも原告車両が轢過車両であると認定していることが認められるが、それを更に分析すると、右情況証拠に基づく有罪の事実認定は、右に検討したとおり、関係人の供述の食い違いを検証した上での認定であって、仮にその視点を変えると、別の事実認定の可能性も否定できないところであり、その意味においては、更に揺るぎない物証関係に基づく補強の事実認定が必要であることはいうまでもなく、それを踏まえて、本件一審判決が情況証拠関係に基づく事実認定に引き続いて物証関係による有罪認定の理由構成を行ったものと認めることができる(甲2)。

 ところで、原告車両に残された物証つまり右後輪付着物が本件被害者に由来するものであるとすれば、それは、いわゆる直接証拠であるため、たとえ他の証拠関係に欠陥があったとしても、原告車両を加害車両と認定することに特段問題がないと思われる反面、右後輪付着物が本件事故と関連性を有しないとの結論に至った場合、原告車両が轢過車両でないと断定できるかは問題である。

 すなわち、本件一審判決の理由構造のごとく、前後輪付着物と被害者との関連性が遮断されたとしても、前記4のように情況証拠のみから原告車両を轢過車両と認定する方法(その是非は別として)も存在し、原告が本件一審の公判段階から主張するように、右後輪付着物と被害者との関連性の否定により、直ちに、原告車両が轢過車両ではないと結論できるものではない。

 しかしながら、その蓋然性は高く、情況証拠関係に基づく事実認定に合理的疑いが大きく残ることは必然であり、これを看過すれば、国賠法上の違法となるといえよう。

 以下その点について検討する。

 (一) 本件検問時の右後輪付着物の比落としについて

 本件無罪判決が指摘するように、右後輪付着物の大きさ(約19センチメートル×20 センチメートル)からみて、夜間とはいえ、検問警察官がこれを見落とすことがあり得るであろうかとの疑問が生ずることは否めない。

 しかしながら、その他方で、右無罪判決が「検問時においては右後輪付着物は存在しなかったという可能性を全く否定し去ることはできない。」とまで、指摘できるかについては疑問がないわけではない。

 すなわち、

 [1] 事故に近接する原告の50・12・24員面調書(乙184)、佐藤賢一の証言、(乙 267)等によると、原告の検閲時間が約5分程度であった可能性があること(原告は公判段階で検問時間が10分程度と供述を変えているが、免許証の点検は2、3分で済むし、10分の長さは他の証拠との間に齟齬が生じ(乙199、267、269)、特に10分かかったという根拠は認められない(乙38、242、266)。)

 [2] 検問警察官が、本件検問当時に事故態様を正確に把握していなかった(乙159 、184、269)結果、走行中の車両が歩行者を轢過した死亡事故の場合の多くは、歩行者に車両の前部を衝突させるという事故態様であり、本件においても、検問警察官が主に原告車両の前面を中心に見分してその痕跡の発見に努めたが、その痕跡が見つからなかったため、右後輪付着物の付着部分である後部車輪部分の見分を疎かにした可能性があること

の各事実から判断すると、本件無罪判決が疑問を抱くほど本件一審判決の認定・判断が不合理であるとはいえない。

 (二) 防火ライトでの右後輪付着物等の発見について

 本件一審判決が、右後輪付着物がどこで発見されたかについてはなんら理由説示していないことが認められる(甲2)。

 従って、この点については、本件一審の公判段階において、検察側と弁護側で大いに争ったところであるから、本件一審判決がなんら理由を付すことなく、布後輪付着物と本件事故との関連性を認めたことは不自然であるといわざるを得ず、仮に、本件無罪判決の指摘するように「防火ライトで右後輪付着物が発見されたという原判決(本件二審判決)の認定には疑問の余地がある。」だけでなく、原告主張のように、捜査関係者が故意に右後輪付着物を岩沼署で付着させた可能性があり、証拠上その認定ができるにもかかわらずそれを怠ったというならば、本件一審判決が理由を付さずに右後輪付着物と本件事故との関連性を認めたことは著しく不合理な事実認定であるとして、国賠法上の違法を認めてしかるべきである。

 しかしながら、発見場所がどこであったかが不明であることと誰が付着させたかが不明であることとでは、大いに事実の認定に違いがあることは明らかであり、少なくとも、本件刑事記録を精査しても、捜査関係者が付着させたことの可能性を窺わせる証拠はなく、原告主張は単なる推論の域をでないのであるから、刑事判決においては必ずしも被告人の主張すべてについて理由を説示する必要がないことに鑑みると(刑事訴訟法44条、335条参照)、原告が主張する右後輪付着物の発見場所についての判断を欠落させたことが、刑事公判において争点となっているからといって、そのことが特段国賠法上達法の評価を受ける程の瑕疵でないことは明らかである。

 なお、原告の主張によれば、右後輪付着物は捜査閲係者が故意に付着させた可能性があるとも解されるので、付言するが、後述のとおり、右後輪付着物に被害者の血液が含まれていたか否かについては鑑定まで行われており、その結果、一つの鑑定では否定されたものの、別の鑑定において、非常に希釈された人血とされる物体が辛うじて発見されたというのであるから、そこまでしなければ、人の血と言えないものを故意に付着させることが必要であったとは到底考えられないのであって(故意に付着させるのであれば、もっとストレートに0型の人血を付着させたであろう。)、ここまで原告がこの点を疑問視すべき理由が不可解であるとともに、本件無罪判決が右後輪付着物は人血の証明がないという鑑定を採用しながら、同様な疑問を投げかけている点も理解できないところではある。

 (三) 轢過態様及び血痕付着機序について(江守鑑定・上山鑑定について)

 (1) 轢過態様について、本件無罪判決は「上山鑑定には(井上鑑定ほどの)重大な疑問点はないと思われるのに、本件一審判決がその轢過態様の認定において、特に説明を付すことなく、右鑑定に示されている専門的知見を無視している点で疑問があるといわざるを得ない。」とし(甲1)、原告もこの点についての本件一審判決の判断は違法であると主張している。

 たしかに、上山鑑定の「頭部は前輪、後輪によって二度轢過されている」旨の部分は、被害者の頭部とその他に上胸部にも骨折を伴う損傷がある旨の所見に合致し、布前輪で頭部を轢過し、右後輪で頭部から上胸部を轢過したと解することもでき、その結果、右後輪ダブルタイヤの外側タイヤの外側面に右後輪付着物が付着することはあり得ないのではないかとの結論に至る可能性がある。

 そこで以下、具体的に検討する。

 上山鑑定は、被害者が伏臥状態のところを轢過されたと鑑定しているが、江守鑑定等(乙187、252)によれば、被害者は仰向けで轢過された旨並びに井上鑑定等(乙19 0、258)も、仰臥状態での轢過と各鑑定していることが認められ、更に、江守教授は「頭皮が剥がれているのも、タイヤが直接上を轢過したのが原因だと思う」旨供述していること(乙252)、井上教授もほぼ同様のことを供述し、「・・・これは大きな上山さんの間違いです。」、「どうして上山さんがそういうことを言われたか、私には不思議だなと思うだけです。恐らくいろんな経験が足りないんじやないかと思うんですが。」とまで供述し、頸部の痕跡や、大脳の壊れ具合などを説明して法医学的な観点から上山鑑定をかなり強い論調で批判していることが認められる(乙258)。

 (2) さらに、本件無罪判決は、本件一審判決が江守鑑定を右後輪のみによる轢過を前提としていること及び分析手法が機械工学的に偏りすぎていることを理由に本件に適切でないとして採用しなかったことについて、江守鑑定は全体として極めて明快であって、右後輪の轢過以前に前輪による轢過があるか否かで結論に影響がないことは鑑定書自体から明らかであること及び鑑定手法が機械工学的なものになっているのも鑑定事項の性質上当然であるとして、本件一審判決を非難し(甲1)、原告も同様に主張している。

 そこで、検討するに、

 [1] 上山鑑定によると「江守鑑定及び証言の大筋については同意すべき点が多い。しかし、鑑定の前提として、『右後輪のみの轢過』を条件としたことには問題がのこる」とされ、さらに「鑑定の前提を前輪及び後輪による轢過としていたら、結論も変わっていたものと思われる」としていること、また、他の事例の紹介としてトラックの後輪のみ轢過の場合でもダブルタイヤの外輪の外側面に血痕の付着が認められた事例も紹介し、結論的には、本件においても人体轢過時に血痕として付着することも可能であるとしていること(乙189)

 [2] 江守教授自身も証言において「あくまでそれは右後輪の話である」旨供述していること(乙252)

 [3] また、井上教授は、人体というものは人工的なものではなく、骨、皮膚、細胞、筋肉、神経などが複雑に絡みあっており、人工的な物体と同じに考えてはいけない、また、すでに骨折している人間の上を轢過すれば、皮膚の下の骨が、轢過されたところをシーソーのようにして持ち上がることもあるとして、江守鑑定のような物理学的な判断を批判しているし、右後輪付着物の付着は可能であって、否定できないと鑑定及び供述していること(乙190、258)

等の鑑定意見がそれぞれ存在することが認められ、江守鑑定の前提が、後輪轢過のみであるから、後輪轢過の以前に出血があったり、骨折を伴っている場合には、結論が異なるであろうと本件一審判決が判断したとしてもあながち不合理とは思われないし、江守鑑定が例にあげるバースト時の血痕の飛散情況についても、轢過される人間の体、特に顔面のようなところは、口、鼻などの存在、骨折した骨の具合等と轢過するタイヤの接触面の態様によっては、血痕の飛散情況も様々な状態で飛散するのではないかと考えられることを総合すると、上山鑑定及び江守鑑定に対する本件一審判決の処遇に著しい不合理性を見出すことはできず、この部分の本件無罪判決の疑問も原告が主張するほどの不合理なものということはできない。

 (3) さらに、本件無罪判決は、「一、二審判決は、そのかなり技巧的な轢過態様の認定にもかかわらず、被害者の血液が被告人車の右後輪タイヤの踏面に付着せず外側面にのみ付着したということをよく説明しえているとは思えない。」と疑問を呈している(甲1)。

 しかしながら、当該疑問の前提は、原告車両の右後輪外側タイヤの踏面に被害者の血液が付着していないことを問題にするのではなく、右後論付着物を被害者の血液であるとすれば、タイヤの踏面にも付着したはずであるというところにあると解され、原告が轢過態様を右後輪外側タイヤが被害者の上胸部を轢過したものとする前提条件とは異なるものであることに留意すべきである。

 確かに、本件一審判決の理由中には、タイヤの踏面に血液が付着していないにもかかわらず、被害者の血液を含むと認定した右後輪付着物がタイヤの外側面にどうして付着したかの検討をした形跡のないことは明らかであり、疑問である(甲2)。

 なお、原告の疑問とするところについて検討するに、

 [1] 現場路上に残された痕跡と、被害者の発見位置からすれば、被害者は前輪で轢過された後、後輪で轢過されるまでの間に会津若松市方向に約1・4メートル、センターライン方向に20ないし30センチメートル移動したと考えても不合理でないところ、原告車両が前輪と後輪がほぼ同位置を進行するとすれば、本件一審判決の認定した轢過部位が説得的であること(乙159、160、196)

 [2] 原告車両の右後輪外側タイヤが前輪と比較して約3センチ程外側にあるにすぎないから(乙198)、原告主張並びに江守鑑定及び上山鑑定を前提にすれば、前輪が轢過してから後輪が轢過するまでの短い間に(約0・5秒)急激に約50ないし60センチ進路が右に移動しないと説明がつかないと思われること

 [3] 交通事故においてはその事故態様の解明は極めて困難であり、予想もつかない事態が起こりうることは各鑑定人も認めていること(乙252、298)

 [4] 実際に、各鑑定人の轢過態様についての意見が様々であること(乙187、189 、190)

等の事実が認められ、本件一審判決の理由からも、轢過態様の確定と右後輪付着物の付着機序の認定については、相当の困難性が伴ったことが窺われ、前記4における判断経過から明らかなとおり、刑事裁判官の命題である前記二つのうち、後者の「真犯人を見逃してはならない」の命題に重きを置いた結果が、本件無罪判決において事実誤認と判断されたものと考えられる。

 (四) 血痕鑑定について

 (1) 本件無罪判決が本件一審判決の血痕鑑定に対する判断について、疑問を呈しているところは、左記のとおりである(甲1)。

(船尾鑑定について)

 [1] 検体の陳旧度に対する配慮及び検体からの浸出液の濁りについて、船尾教授は明快に説明していること

 [2] 船尾鑑定が採用した輪環反応法の人血否定の結論を信用しないこと

 [3] 詳細なデータの保存・提出のない富谷技術吏員の検査をもって船尾鑑定を疑問視したこと

 [4] 血痕予備試験の陰性結果を無視したこと

(桂鑑定について)

 鑑定書添付の論文の実験データと異なる長時間を要した鑑定結果には疑問があること

 (2) 本件一審判決が、船尾鑑定と桂鑑定の信頼性について、検討しているところは左記のとおりである(甲2)。

(船尾鑑定について)

 [1] 検体の由来を知らないことによる検体の陳旧度への配慮を欠き、浸出液の濁りに対する誤解が窺えること

 [2] 同じ検体についてなされた検査で、輪環反応法で否定されたものがフィブリン平板法では人血の反応があったこと

 [3] 船尾鑑定の検体と桂鑑定の検体は異なること

 [4] 輪環反応法は顕微沈降反応法より鋭敏度で劣ること

(桂鑑定について)

 [1] 顕微沈降反応法は昭和37年秋に開発され、鋭敏度が高く徹量血痕に効果的で鑑定方法としての科学性に問題がないこと

 [2] その道の第一人者である鑑定人柱秀策が、周到、綿密な検査法を駆使した鑑定結果には信頼性があること

 (3) 本件刑事記録を精査したところによると、船尾鑑定と桂鑑定については、次の事実を認めることができる。

(船尾鑑定について)

 [1] ベンチジンテストで陽性の結果が、フェノールフタレインテストで陰性の結果が出た場合、いずれも血痕である可能性があるので、さらに人血試験に進む必要があると船尾教授が証言していること(船尾証言・乙249)

 [2] 古くなった血痕は一般に血色素の溶解性が低下して検査ができないことがあること(桂証言・乙255、船尾証言・乙261)

 [3] 浸出液の濁り具合からみて、鑑定に必要な血色素(1万5千倍まで検査が可能)が浸出していなかった可能性があること(乙255)

 [4] 検体にゴミや夾雑物が混合していた可能性があり、それの除去作業をしていないこと(乙261)

 [5] 船尾教授は、検体を横山がタイヤから採収したことを知らず、その由来を知らない可能性があること(乙261)

(桂鑑定について)

 [1] 顕微沈降反応法が技術的に確立した手法であることを船尾教授も認めていること(乙261)

 [2] 抗原抗体反応の出硯と血痕の存在は因果関係が認められること(乙188、255)

 (4) 以上を検証すると、本件一審判決は、顕微沈降反応法の鋭敏度について輪環反応法より1万倍優れていると評価して桂鑑定を採用したことが著しく不合理であると解することはできない。

 6 異常走行体験供述について

 (一) 本件無罪判決の異常走行体験供述についての判断

 本件無罪判決は、「仮に被告人車が轢過車両であるとすれば、右前輪及び右後輪がともに被害者の頭部等に乗り上げる形で轢過したと認めざるをえないことは、関係証拠上明らかであって、一、二審判決とも轢過態様をそのように認定しているところである。被告人が当時居眠り運転をしていたのでない限り、被害者を轢過したのであれば、相当強力な衝撃を二度にわたって感じたはずであり、特に前輪は運転席のほぼ真下にあって、右前輪による轢過の衝撃は強く感じられたはずであるから、被告人の異常走行体験供述は、他の客観的証拠から認められる轢過態様と矛盾するというほかない。被告人車の右後輪付着物は取調官及び被告人の双方に強烈な印象を残したものと思われるから、被告人の異常走行体験供述は、取調官の誘導と被告人の想像による産物ではないかという疑いを否定できないであろう。」として、原告の異常走行体験供述の任意性・信用性に疑問を投げかけている(甲1)。

 (二) 本件一審判決の異常走行体験供述についての判断

 本件一審判決が原告の異常走行体験供述について任意性・信用性があると判断した理論は、次のとおりである(甲2)。

 (1) 事故から4日後の同月24日の実況見分の際、事故現場に事故の痕跡が残っていないにもかかわらず、自動車の中から、異常走行の現場を指示し、それが実際の事故現場と近接していたこと

 (2) 原告は、記憶のないことについては、一貫してその旨を述べていることから、取調官の強制や誘導による心理的強制を受けた可能性がなかったこと

 (三) 本件刑事記録を精査すると、原告は、本件検問を通過したのち、自宅に帰った後から原告車両を岩沼署に提出するまでの間、本件事故のことについては全く意識の外に置いていたことが認められるが、そうであるとすると、かなり強烈な印象で異常走行体験を供述していることと大きな希離があると解される。

 けだし、原告が全くの任意で自発的に述べたものであれば、本件検問を受けた般階で、異常走行体験と本件事故との関連性に当然気づくはずであり、帰宅後、原告車両を点検するか、上司に相談ぐらいはするのが自然であるのに、これらの処置をしていないということは、取り調べにおいて取調官から何らかの示唆を受けて初めて異常走行を意識したのではないかと理解するのが自然である。そのような疑問を本件一審裁判所が抱けば、異常走行体験供述の内容についても、本件無罪判決の指摘するように、前輪轢過のショックについては供述していないのではないかとの疑問が生じ、起訴状の轢過態様が後輪轢過に限られていることとの関連に帰着した可能性があるところである。

 (四) しかしながら、他方において、異常走行体験供述の内容が後輪轢過に限定した明確な表現となっているわけではなく、時速約40キロメートルの走行では、前、後輪で轢過する時間が僅か0・5秒足らずであり(乙258参照)、その一瞬のうちに起こった一連の衝撃を表現したものと解し得なくもなく、なによりも、原告が本宅で収り調べを受けていたことにより、取調官の強制・誘導の余地が考えにくい環境にあったこと及び右供述の変遷の経緯にあいまいな部分があってかえってその部分の信用性に疑問がもたれ、それが障害となって、前記疑問に至らなかった可能性もあり得るところである(乙183、184、195、230、241、242、243、266)。

 7 まとめ

 (一) 本件一審判決は、前述したように、

 [1] 物証及びその鑑定結果並びに原告の異常走行体験供述等を除いた事故現場を通過した関係各車両の通過時間・擦れ違い地点等のいわゆる情況証拠のみに基づいて、原告車両を轢過車両であると認定しているが、それのみにとどまらず、右認定を補強する手法として、

 [2] 物証及びその鑑定の結果からも原告車両を轢過車両と認定できると判示したうえ、更に、

 [3] 原告の異常走行体験供述からも、原告と本件事故との関連性が認められる、

と判示している。

 (二) 右[1]の情況証拠から犯人性を特定する方法は、ほとんどが人証によっていること、また、アリバイ排斥についても精緻な理論を展開しているものの、時速設定の数値に合理的な根拠と一貫性を欠いている(中川車両、原告車両、バス等の時速を一定させていない。)という疑問もあり、有罪の認定に障害となる証拠(無罪性を推定させる証拠)の信用性を否定する手続として、先に形成した心証に齟齬する証拠の信用性を別の証拠と矛盾するからという理由により、あるいは、その証拠に内在する論理的矛盾を理由として切り捨てる手法を用い、真犯人特定のためのより客観的な証拠からのアプローチや、各証拠に隠れている合理的疑いへの糸口を見出さないまま事実誤認に至ったものである。

 また、[1]の情況証拠から犯人性を特定するという方法は、逆説的には、関係者の供述等から轢過車両になりうる可能性のある車両は、原告車両以外には存在しないという証明、つまり「不存在の証明」にも繋がるものであるが、本件事故現場は、記録上明らかなように、国道上という開かれた空間であるから、本件車故の目撃供述等の直接証拠がない限り、本件無罪判決が指摘したように、原告車両の他に轢過車両となりうる可能性のある車両の存在を否定することは容易ではなく、換言すれば、密室あるいはそれに限りなく近い状態でない阻り、「不存在の証明」は困難であるといわざるを得ないのであって、その意味において、本件一審判決が情況証拠から原告車両を轢過車両であると認定した理論構造は、例えれば、入り易い入口(原告車両が加害車両である可能性が高い。)から入って迷路(複数の異なる鑑定結果)を選択したに等しいということができる。

 その点からすれば、本件上告審の判断手法はまさにそのような観点から事実を認定しており、理想的なあるべき刑事裁判の姿を示しているともいえよう。

 (三) しかしながら、前述したところから明らかなとおり、本件一審の終結した段階においては、原告を有罪と認定できる多数の証拠と逆に有罪と認定するには障害となる証拠、すなわち、合理的な疑いを抱かせる証拠も存在することは疑いのないところである。

 そのような情況で、本件上告審が指摘するようなスタンスで審理に臨むことが刑事裁判の理想であることはいうまでもないが、他方、実際の実務の現状においては、どちらかといえば、「真犯人を見逃してはならない」との命題に近い立場から「情況証拠ないしは間接事実の場合は、その一つの証拠なり事実だけで犯罪事実を完全に立証しうることは極めて少なく、情況証拠を個々に分断して、その一つ一つを個別的に分析し、その結果、犯罪事実を立証するに足りるだけの証明力を持たないとして、これを排斥してしまうことは分析に過ぎるものであって、事実認定のあり方としては問題があり、このような分析的な証拠の評価は悪しき分析主義、あるいは、分断主義というべきである。」との考え方があることも充分に考慮しなければならない。

 つまり、情況証拠、間接事実というものは、その一つ一つの証拠だけでは決定的な証明になりえなくとも、全体として被告人が犯人であることを指し示しているときには十介証明力を持ちうるものであって、かかる場合にこれらを分断して排斥することは妥当ではない、という限りにおいて、正論といえるが、他方、有罪方向に働く情況証拠が相当数存在するからといって、個々の証拠についての十分な吟味や分析なしに、安易に犯罪事実を肯定することもまた問題である。分析すると同時に、これら証拠を総合して、全体として、犯罪事実が立証されたかどうかという総合的な判断態度で臨むことが大切であるというべきである。

 (四) 以上を整理して本件一審判決の事実誤認の違法性を判断すると、

 (1) 本件一審判決が、情況証拠に基づいて原告を加害者であると特定していることに問題があることは前示認定のとおりであるが、そこに至る経緯においては、関係者の供述を丹念に検討し、かなり精緻な理論を構成したうえで、原告車両が轢過車両であると認定したものであり、その認定に至る前段階、すなわち、証拠の採否の段階における判断(信用性の有無)に合理性を欠いた誤りを冒した結果、前示認定に至ったのであって、採用した証拠と認定事実との間の齟齬(採用した証拠から認識しうる事実と異なる事実認定)というものではなく、著しく不合理な事実認定と評価することはできない部分である。

 (2) さらに、原告のアリバイを排斥している部分、また、右後輪付着物の付着機序及び轢過態様についても、江守鑑定、上山鑑定ともに欠陥がないわけではなく、船尾鑑定についても、桂鑑定との対比の上でその信用性が判断されたものであり、前示認定のとおり、著しく不合理な判断と解するのは相当ではない。

 (3) ところが、本件一審判決において、唯一問題とすべきは、前述のとおり、異常走行体験供述の内容について、部分的にではなく、事件全体との絡みで検証していたならば、結論を異にする可能性があったのではないかということであるが、前示のとおり、本件一審判決の理由構造が前記4の判断を先行させていることに鑑みると、前記実務的立場からの見方もあり得るわけで、本件一審判決の理由構造に国賠法上の違法を認めることは相当でないといわざるをえない。

 以上を総合すると、本件一審においては、物的証拠、関係者の供述、原告の異常走行体験供述のいずれもが原告の有罪を指向していること、特に右後輪付着物が被害者に由来するとの桂鑑定の正当性が認められれば、右付着物が直接証拠として絶対的な有罪の証拠であるのであるから、本件一審判決が前記4で認定した事実を補強するだけではなく、独立した有罪認定が可能であることを示すものであって、結局は、総合的な評価の下に、原告車両を轢過車両と認定したのであるから、本件一審判決のこの事実認定が、普通の裁判官が合理的に判断すれば、当時の証拠資料・情況のもとでは到底そのような事実認定をしなかったであろうといえるほど著しく不合理な事実認定であったとまでは認めることはできない。

 四 争点三2(本件二審判決の違法性)について

 1 控訴審の役割

 刑事裁判における控訴審は、事後審としての監督的立場から、一審の行った裁判について、当事者の指摘する誤りがあるか否かを事後的に審査することが求められており、その意味では一審とは異なった面で「疑わしきは、被告人の利益に」の行為規範の遵守が求められているというべきである。

 換言するならば、控訴審は、多数の生の事実の中から一つの訴訟的真実を探り出さねばならない一審と異なって、凝縮した争点について、より分析的、論理的思考方法による判断が求められ、その当然の帰結として、一審の冒した誤った裁判を看過することなく、厳しい目で一審の判決をチェックしなければならないのである。のみならず、控訴審は最終の事実審として、当事者の主張する一審の事実誤認について誤りを糺すとともに最終的に事実を確定させなければならないのはいうまでもないところである。

 そこで以上を本件においてみるに、本件上告審が本件二審判決を事実誤認を理由に取り消したということは、結局は、本件二番判決が本件無罪判決の指摘する本件一審判決の誤りを糺さなかった、すなわち、控訴審として有するチェック機能を働かせられなかったことであるから、右義務違反が、ここにおいて、国賠法上の違法に該当するか否かについて検討されなければならない。

 なお、刑車叔判の控訴審が事後審であることから、一審と異なって、控訴審の果たすべき様々の義務の内容が、一審のそれよりもさらに厳しく問われるべきであるかの点については、判断の難しいところであるが、一審と二審の性格上の違いはあるものの、裁判所法及び刑事訴訟法上、特段に、より高度の義務履行が求められているとは考えられず、国賠法上の違法性の判断に当たっても、一審と同等の基準で考慮すれば足りるものと解される。

 2 本件二審判決の理論構造

 本件二審判決の理論梢造は、本件一審判決とややニュアンスを異にする理由説示を含むものの、大筋において、左記のとおり、本件一審判決の事実認定を是認し、原告の控訴を棄却していることが認められる(甲1、2、3)。

 (一) 物証及びその鑑定結果並びに原告の異常走行体験供述等を除いた事故現場を通過した関係各車両の通過時間・擦れ違い地点等を中心とした検討により、原告車両を轢過車両と認定できる。

 (二) 物証及びその鑑定結果から原告車両の右後輪等には被害者と同じ0型の人血と毛髪等が付着していたことが認定できる。

 (三) 原告の捜査官に対する異常走行体験供述は信用できる。

 そうであるとすると、以下の検討においては、本件一審判決に対する検討と同旨の部分は前記6・3(一審判決)の判断を援用することとし、本件一審判決に対する検討と異なる部分についてのみ、前述の控訴審の役割に基づく義務違反の存否及び国賠法上の違法件の存否を検討することとする。

 3 情況証拠に関する判断について

 (一) アリバイの排斥について

 本件二審判決は、本件一審判決が認定した、関係各車両の通過時間等の情況証拠のみならず、原告車両の付着物及びその鑑定結果並びに異常走行体験供述の評価をも踏まえて、アリバイ不成立の認定・判断をしていることが認められ、特に、バス運転手の供述については、時間の関係の正確性を担保するために、本件一審判決の引用していない[1]運転手がタコグラフによる事故現場を通過した時刻の供述部分及び[2]タイムカードを押した時間の供述部分を各引用していることが認められるが(甲3)、右供述部分は、供述者の主観の入りようのない客観的事実であることに鑑みると、右総合的事実を踏まえた検討を本件一審判決の事実認定に加えていることとともに、その結論の当否は別として、判断過程のプロセスとしては控訴審のチェック機能に基づく判断をしているものと評価することができるというべきである。

 (二) 本件検問における通過順位等について

 この点については、原告は、本件二審判決が、実際には検問に立会っていない熊谷武之巡査が検問メモを検問従事者として作成したと認定したことは、伝聞証拠違反を理由に弁護人の反対した佐藤賢一証言を採用するために、故意に誤った事実認定をしたものであると主張するので検討するが、右熊谷及び渡辺正紀の供述によれば、熊谷巡査が本件検問に立ち合った事実はなく、本件二審判決の誤りは明らかであるが(甲 3、乙289、300)、右の熊谷尋問は、事実認定に供する資料としてではなく、佐藤賢一証言の伝聞証拠性を調べるためのものであるから、証拠採否の手続に関するものにすぎず、本件で問われている事実誤認を直接的に招来したものではない。従って、右違反が独立して国賠法上の違法を問われるべきでないことは明らかである。すなわち、本件二審判決の判示によると、先ず、中川との擦れ違い車両が、被害者を轢過したものであると認定し、その車両は原告の運転していた四トン程度の普通貨物自動車であったとしたうえで「以上の如き各車両のすれちがい状況からみた轢過車両の特定に加えて、・・・」という判示に続けて、本件検問通過車両の通過順位からも原告車両が轢過車両であるという認定方法を行っているのであるから、明らかに本件検問通過順位等による轢過車両の特定は、右認定の補強に過ぎないものである(甲3)。

 4 物証及びその鑑定結果に関する判断の迎法性  (一) 本件検問時における右後輪付着物の見落とし認定について

 原告は、右後輪付着物の検証申請の却下について、控訴審の事後審性を強調して、右却下が国賠法上の違法になると主張するので検討するが、この点については、血痕が付着していることが前もってわかっているものを検証実験したところで誰も見落とすわけがなく(つまり当時と同じ条件と同じ心理状況で検証すること不可能である。)、のみならず、本件検問において、右後輪外側タイヤ近辺を点検した旨の検問記録上の記載はなく実際の検討がどのような手順で行われたかが不明であることを考頗すると、申立の検証実験で本件検問の内容の再現は不可能であることは明らかで、本件二番裁判所が右申請を却下したのはやむを得ないものというべきである。

 (二) 防火ライトでの右後輪付着物等の発見について

 右後輪付着物等の発見経過については、前示認定のとおり、本件一審判決がなんら理由を述べていないところであるので、以下のとおり検討することとする。

 (1) 本件二番判決の認定したポ後輪付着物の防火ライトでの発見について、本件無罪判決が疑問を指摘するところは、左記のとおりである(甲1)。

 [1] 防火ライトで発見されたという捜査報告書は、その記載の正確性に問題があること

 [2] 原告の供述調書には右後輪付着物を初めて確認したのは岩沼署においてであると解することができる記載がある反面、防火ライトで右後輪付着物を確認したことを窺わせる記載が見当たらないこと

 [3] 防火ライトで立ち会った原告の雇主及び原告の供述には、右後輪付着物は岩沼署で発見されたと解することができる部分があること

 [4] 轢き逃げ死亡事件の捜査のために最初に出向いた二人の警察官が原告車両に血痕様の右後輪付着物を発見しておきながら、二人ともそのまま放置して4キロメートル離れた警察署に帰ったことや二度目に防火ライトを訪れた警察官がその場で証拠保全、採証しようとせず、原告に運転させて原告車両を四キロメートルも離れた岩沼署まで運んだというのも不可解であること

 (2) しかしながら、右の各点については、本件刑事記録を精査すると、

 [1] 文屋義隆及び宇田川敏夫は、文屋巡査部長の指示で防火ライトに赴いた二瓶、斉藤両巡査が、原告車両の右後輪タイヤに血痕様のものを現認していながら、車両をそのままにして署に戻ってきたことで文屋巡査部長から注意を受け、直ちに宇田川巡査らが日本防火ライト工業仙台工場に赴いた旨の供述をしていること(乙209、227)

 [2] 宇田川も防火ライトにおいて付着物を見たことがあると供述していること(乙209)

 [3] 林長も防火ライトでの発見を聞いていると供述していること(乙211)

 [4] 52・12・22付車当り捜査報告蓄(乙172)、同日付血痕及び毛髪らしい付着物採取報告書(乙173)、50・12・24付現場資料採取報告書(乙174)がそれぞれ作成されており、これらの報告書には一部不正確な記載があるものの、これらによって、一応、右後輪付着物の押収経緯が明らかにされていること

 [5] 証拠物と見られるものを発見した場合でも、常に、その発見場所において直ちに押収手続が行なわれるものでなく、任意提出者の利益、証拠物の散逸の危険性、押収するための器具、鑑識のための機材等の準備等の諸事情を勘案し、場合によっては、最寄りの警察署等において押収手続をとることもあり得ること

 [6] 防火ライトにおいて発見した段階ではまだ本件事故と右後輪付着物との関連性が確認されていなかったために押収手続をとらなかった可能性があること

等の事実が認められるのであるから、本件二審判決の認定・判断が著しく不合理であるといえないばかりか、前述したとおり、原告が右後輪付着物の発見場所がどこであるかにこだわる第一の理由は、右後輪付着物が自然に付着したものではなく、捜査関係者が故意に付着したものではないかとの疑念が前提にあると解されるが、鑑定を行っても鑑定意見が分かれるほどの判定困雉な付着物をわざわざ選んで付着させることなど通常あり得ないことに鑑みると、右疑念自体が論理的矛盾を来たすものであることは明らかであり、捜査警察官が原告を犯人にするために故意に付着させたことを窺わせる特別の事情でもあれば格別、かかる特別事情の主張、立証もない本件においては、右疑念は、合理的疑いを超えたものであり、到底国賠法上の違法を考える問題ではないというべきである。  (三) 江守鑑定・上山鑑定について

 江寸鑑定について、補充書が提出されているほかは、本件二審判決も一審判決の理由とするところと異ならないので、右の点についてのみ検討することとする。

 (1) 本件二審の段階において、江守鑑定の補充書(乙297)が提出されたが、その内容は、本件一審判決が江守鑑定を採用しなかった理由に反論して、前輪轢過の有無にかかわらず右後輪付着物は右後輪外側タイヤに付着しない旨の意見であるが、なぜ前輪轢過があっても影響がないのか前記第6・3(一審判決)で江守鑑定に関して述べた様々な疑問点には充分に答えていないと思われる。

 (2) 原告は、本件二審判決が「被告人車の右後輪外側タイヤの外周寄りの部分が地上に横たわる状態でいた被害者の額から頭部前面部分に乗り上げてその部分の皮膚等を剥ぎ取るような形で轢過した結果、右のような損傷を与えるとともに、剥がれたものがタイヤ外側面に触れて血痕及び毛髪を付着させたものということができる。」との轢過態様の認定は、証拠に基づかないどころか、明らかに証拠に反していると主張するとともに、右認定の轢過態様は上山鑑定の轢過態様と異なるものであると主張する。

 しかし、本件二審判決が医師茂野録良作成の鑑定書(乙162)、同人の検察官に対する供述調書(乙163)、司法警察員作成の50・12・22付死体についての実況見分調書(乙161)等に基づき、被害者の損傷状況を丹念に検討した結果、右轢過態様を判断していることは明らかであり(甲3)、原告の主張する証拠に基づかない事実認定との非難は当たらない。

 (四) 血液予備試験及び船尾鑑定について

 たしかに、本件二審判決の判示には、原告が主張するように、

 (1) 横山のした予備試験の結果のみで人血であることが判明したかのように認定しているかのように受け取られる部分

 (2) 船尾鑑定は、血液であるが高度に希釈されており、絶対量が少ないために陽性反応を狩ることができなかったとして船尾鑑定を排斥しているかのように受け取られる部分

があることが認められる(甲3)。

 しかしながら、その前後の判示部分を全体として読めば、その部分の判示は、結局は、(1)については、資料採取及び鑑定経緯の認定のなかで予備試験をした横山の認織として認定しているのであって、本件二審判決が、横山の予備試験の結果でもって右後輪付着物が人血を含んでいると認定しているのではないことは明らかであり、また(2)についても、本件二審判決は、原告が控訴趣意書(乙328の2)において、主張した、桂鑑定の顕微沈降反応法が客観的に信用性がない、との所論を排斥するために、桂鑑定の顕微沈降反応法と船尾鑑定に用いられた輪環反応法との技術的な差異等を桂教授及び船尾教授の証言に沿って、一般的に判示しているに過ぎないのであって、特に本件において、船尾鑑定の鑑定資料が一万五千倍に薄められた結果、陽性の結果が出なかったということを判示しているのではないことは明らかである(甲3)。

 なお、本件二審判決が桂鑑定の信用性を認めるとともに船尾鑑定が桂鑑定の信用性に影響を及ぼさないとした理由は、ややニュアンスは異なるものの、基本的には本件一審判決と同旨であると認められる(甲2、3)。

 5 異常走行体験供述の任意性・信用性に対する判断について

 (一) 原告は、本件二審において、控訴趣意書及び控訴審の弁論で、異常走行体験供述が任意性・信用性に欠けることを、次のとおり、具体的に指摘していることが認められる(乙285、328の2)。

 [1] 異常走行体験供述は、上山鑑定の轢過態様(前後輪の二重轢過)と矛盾すること

 [2] 原告が、実際に、異常走行を体験したのち、本件検問を受けていたならば、体験した異常走行と本件車両の関連を心配し、事件の痕跡の発見につとめ、事故の痕跡が発見されれば、その罪証を隠減するなど工作すると考えられるにもかかわらず、原告の本件事故現場通過後の行動と異常走行体験とは矛盾するところが多く、原告の異常走行体険は存在しないと考えられること

 (二) これに村し、本件二審判決が原告の異常走行体験供述の任意性・信用性を肯定する理由は、

 (1) [1]については、前記第6・3(一審判決)で認定したところと同旨であるほか、供述内容が轢過時の車両の動きを克明にとらえ、実際に体験したものでなければたやすく言い表せないものであり、不自然なところがないこと

 (2) [2]については、本件検問時に車両に異常が発見されなかったため、自己車両には、異常走行体験の際に何らの痕跡も付かなかったと思ったとすれば、その後の原告の行動が加害者の意識を持たない行動に終始したとしても相容れないものではないこと

 (3) 原告の監督的立場にある前記斉藤の「被告人が津川署に出頭する際、洗面道具、下着などを買って持っていったのを見て、被告人が取り調べを受け、正直言って轢き逃げで逮捕されるだろうと考えていた」旨の供述が原告の心情を明かしたものと理解できること

に要約される(甲3)。

 (三) しかし、右理由は、やや弁解に過ぎるきらいがないわけではなく、右部分に限って言えば、前記第6・3(一審判決)の判断と同じく、不合理な判断といわざるをえない。

 6 まとめ

 控訴審は、事後審としての監督的立場から、一審判決の問われている不当性について、その当否を点検する役割・機能に誠実に従い、かつ、疑わしきは罰せずの行為規範を遵守して審理を果たす義務のあることに鑑みれば、本件においても、本件二審裁判所が、控訴趣意書に凝縮された各争点について、合理的疑いをもって審理すれば、本件無罪判決の指摘する本件一審判決についての疑問に気づいてしかるべきであったと考えられる。

 しかし、そうであるからといって、直ちに本件二審判決が国賠法上の違法に該当するとはいえず、前述のとおり、本件二審判決が国賠法上の違法に当たるためには、著しく不合理な事実認定、すなわち、普通の裁判官の少なくとも四分の三以上の裁判官が合理的に判断すれば、当時の証拠資料・情況の下では到底そのような事実認定をしなかったであろうと考えられるほど著しい事実誤認をした場合に初めて、違法というべきであるところ、以上検討してきた本件二審判決の審理経過には、本件無罪判決と同じスタンスをもって、前記行為規範の遵守に徹すれば、本件一審判決の事実誤認を是正できたであろうと考えられるところがないではないが、本件事件を概観して、原告車両を除いては、他に加害車両と認定できる情況になかったことが大きな障害となって、本件事実誤認に結びついたものであろうことを考慮すると、概ね、控訴理由について控訴審としての機能に即した審理を果たしていることが窺われ、右基準を超えた著しく不合理な判断とはいえず、国賠法上の違法を認めなければ著しく正義に反するものとまではいえない。

 五 争点四(公務員の個人責任の有無)について

 1 公務員の個人責任については、従来から論争されているところであるが、確立した裁判例によれば、公権力の行使に当たる国又は地方公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって遵法に他人に損害を与えた場合には、当該公務員の所属する国又は地方公共団体がその被害者に対して賠償の責めに任ずるのであって公務員個人は民法709条による賠償賓任を負わないと解されている(最高裁・昭53・10・20、民集32巻7号1367頁参照)ところ、当裁判所も右立場を正当と解するものである。

 右を敷桁するとすれば、公務は、私的業務と比べ際立った特殊性を有し、常に国民の権利を制約する形で執行され、その結果、執行を受けるものはこれの受忍を余儀なくされているが、これの正当性の担保は、公務が適法であることを条件に権利侵害の違法性が阻却されると解されるところに求められるが、右の理は、公務としての特段の保護を何ら必要としないほど明白に違法な公務で、かつ、行為時に行為者自身が、その違法性を認識していたような事案については該当しないと解するのが相当である。

 2 つまり、被疑者や被告人に対して、悪意(個人的な恨みを晴らしてやろうとか、被疑者・被告人に対して恨みを抱いているような者から賄賂を貰ったような場合)をもって、公訴を提起し、あるいは、有罪判決を言い渡したような場合は、公務の名を借りてはいるものの、何ら公務としての保護は必要としないほどに明白に違法な行為であるのであって、そのような場合にまで、当該公務員にも民事不法行為の適用が否定されるべきものとは考えられない。

 3 そこで、本件刑事事件の起訴から本件二審判決までの経緯について、検討するに、原告の主張を精査してみても右悪意の存在を基健づける具体的事実は何ら主張されていないのであり、被告個人らに対する請求は、そもそも失当であるといわざるを得ない。

 むしろ、本件において刑事裁判官を披告とした部分は、前記原告の故意論に対する判示で明らかなとおり、従来、裁判の違法性判断が悪意という主観的要件に限定してきたことに対応して採られた訴訟方針であることに鑑みると、やむをえないものと理解することはできるが、厳しく言えば、やや冷静な証拠判断から離れた主観的・感情論に基づく主張に終始したものと評価せざるを待ず、これでは、かえって被害者救済を本旨とすべき国賠訴訟の裁判からは遠く離れていくことを懸念せざるをえないのである。

第七 結論

 よって、その余の点を考慮するまでもなく、原告の請求にはいずれも理由がないから棄却することとする。

(裁判官 村田鋭治 裁判官 川上宏)

 裁判長裁判官 澤田三知夫は転補のため署名押印できない。

(裁判官村田鋭治)