最高裁逆転無罪判決解説
判例時報1319号 p.39〜40

 

 
 業務上過失致死事件につき事実誤認があるとして一・二審判決を破棄し無罪を言い渡した事例

新潟ひき逃げ事件上告審判決
最高裁二小法廷元、4.21判決

 本件交通事故は、昭和五〇年一二月二〇日午後九時二〇分すぎに、福島県との県境に近い新潟県津川町の国道四九号線上で発生した。酒に酔ってセンターライン付近に横たわっていた被害者が、その頭部・胸部を自動車(普通車より重量のあるトラック・パス類と推定される)に轢過されて即死したのである。轢過車両はそのまま逃走したが、捜査機関は種々の証拠から被告人が運転していたトラック(被告人車)を轢過車両であると特定し、被告人は昭和五二年二月一二日業務上過失致死罪で起訴された(本件は「新潟(津川町)ひき逃げ事件」などと呼ばれているが、被告人は救護義務違反等では起訴されていない)。第一審以来、被告人・弁護人は轢過車両は彼告人車以外のトラックであるとして無罪を主張し、第一審において、被告人車の付着物についての血痕鑑定や本件の轢過態様等に関する自動車事故鑑定がそれぞれ複数回行われるなどしたため、審理が長期化したようである。

 第一審判決は、[1]事故現場を通過した関係各車両の通過時間・擦れ違い地点等を中心とした検討によると被告人車を轢過車両と考えざるをえない、[2]鑑定により被告人車の右後輪等には被害者と同じO型の人の血液と毛髪が付着していたと認められる、[3]現場付近で異常走行を体験した旨の被告人の捜査官に対する供述は信用できる、として、被害人を有罪とし禁鋼六月、執行猶予二年に処した。控訴審判決は、ややニュアンスを異にする理由説示を含むものの、第一審判決の事実認定を是認し、被告人の控訴を棄却した。

 弁護人の上告趣意は、主として事実誤認をいうものであり、付加的に、一部証拠の証拠能力や公判期日外の証人尋問の要件を争う違憲主張もしている。本上告審判決は、職権で事実認定について検討した結果、右[1]及び[3]につき、そのような証拠関係の検討のみによっては被告人車を轢過車両と断定することは不可能であるとし、[2]については、ロ有罪認定の資とされた桂鑑定、横山鑑定等には疑問がある(一、二審判決が船尾判定を排斥した理由も支持できない)、ワ桂鑑定の結論を採用するとしても、それは被告人車の右後輪付着物に由来する検体にはごく微量の人血が非常に薄まった状態で含まれているというにすぎないから、被告人車を轢過車両とした場合に推定される右後輪付着物の形成過程との関係を考慮すると、右後輪付着物が本件事故に由来すると認めるには疑問が残る、ン被告人車を轢過車両と仮定した場合に推定される轢過態様の考察からも、被告人車の右後輪付着物を本件事故に由来する血痕であると認めるには疑問が残る(一、二審判決がこの点に関する江守鑑定を排斥し、上山鑑定を無視している点も疑問である)、゙右後輪付着物については、さらに、その発見過程における疑問点もある、゚毛髪、布目痕等の付着物の証拠価値も低い、などと説示し、結局、被告人車の付着物及びその鑑定の関係の証拠によっても、被告人車を轢過車両であると断定することはできないとして、被告人を有罪とした一、二書判決を事実誤認を理由に破棄したうえ、本件については、一、二審において必要と思われる事実審理は尽くされているので自判をするのが相当であるとして、被告人に対して無罪の言渡をしたものである。

 何分にも事実認定の問題であるから、引用されている各鑑定書等の証拠にあたらないとよく判らない点が多いのは仕方がないが、本判決は、一、二審判決の内容、捜査の経過及び証拠関係を簡潔にまとめたうえ、詳細にわたって具体的証拠判断を示しているので、末尾に付した一、二審判決をも合わせて読めば、本判決の内容自体は十分に理解できると思われる。なお、第一審において、検察官が重要な点で一、二審判決の認定とは異なる証拠評価をしていたことは、本判決にも記載されているが、最高裁の弁論においても、検察官は、定期バスと擦れ違い地点に関する被告人の供述はそのとおり信用できるとし(一、二審判決ともその信用性を否定して擦れ違い地点は事故現場より新潟市寄りであると推認している)、定期パスの運転手は事故後に現場にさしかかったのであると主張し(一一、二審判決は同運転手の証言どおリ事故前にさしかかったと認定している)、一、二審判決が判断をかなり異にしている轢過態様については第一審判決の認定を前提とする主張をしたとの由である。

 このように、本判決は、事案に即した具体的証拠判断に終始しており、特段の法律解釈を含むわけではなく、刑訴法四一一条三号による破棄の事例判例に一を加えるものであるが、最高裁が事実誤認あるいはその疑いを理由として下級審判決を破棄するのは、数多くの上告事件全体からみれば希有のことであるといってよいであろう。それだけに、この種破棄判例は、実務上大いに参考にされるべきものと思われる。本件は、交通事故の事案であるとはいえ、轢過車両と被告人車の同一性が問題とされ、目撃者等の供述証拠、付着物の物的証拠とその鑑定、被告人の供述が子細に検討されているので、被告人と犯人の同一性が争われる殺人罪等の一般的刑事事件の事実認定においてもヒントになる点が少なくないであろう。特に、血痕認定や自動車事故鑑定について相当立ち入った判断を示している部分は、この種の鑑定が重要なウエイトを占める事件が少なくないことから、実務家としては注意して読むべきところであろう。

 最高裁で、交通事故関係の事案で事実誤認(疑い)等を理由に原判決が破棄された比較的最近の事例としては、[1]最三判昭54・3・27本誌九二四・一三四、[2]最三判昭54・12・4本誌九五四・一二四、[3]最一判昭56・2・19本誌九九六・一三があり(以上いずれも破棄差戻)、少年の再抗告事件についての[4]最三決昭62・3・24本誌一二三・一五〇も道路交通法違反保護事件につき事実誤認を理由に原決定及び保護処分決定を取り消し家裁に差し戻している。なお、最高裁が無罪の自判をすることは破棄事例においても比較的少ないが、最近の事例としては、[6]最一判昭58・2・24本誌一〇七〇・五、[7]最一判昭60・12・19本誌一一九四・一三八がある。