遠藤国賠パンフレット

冤罪国賠の意義
 

 
【冤罪国賠の意義】

●賠償に応じない裁判所の姿勢

 自分の受けた裁判が誤っていると主張して、国家賠償請求訴訟を提起するケースにはいろいろなパターンがあります。なかには敗訴判決に腹を立て、裁判所を攻撃することだけを目的としているものもあります。判決が公正で誤りがなければ、賠償請求が否定されてもやむをえません。

 しかし再審によって、確定判決の誤りが判明した場合はどうでしょう。あるいは控訴・上告の結果、逆転判決によって、一審もしくは二審の裁判が誤りとされたときは・・・・・。誤った裁判で、被告人が深刻な被害をこうむったことは間違いなく、しかも裁判所自身によって前の裁判の誤りが証明されたのです。被告人が被った損害を国が賠償するのは当然と思うのは自然な感情ではないでしょうか。

 ところが裁判所は、長い年月をかけてようやく無実を証明した人たちの国家賠償請求訴訟に対して、次々に敗訴判決を下しています(松山事件再審無罪国賠訴訟、米谷事件国賠訴訟、加藤老国賠訴訟等)。裁判所が請求を棄却する論理とするのは、「裁判が国家賠償法上違法であるといえるのは、裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別な事情がある場合である必要がある」(弘前大教授夫人殺し冤罪国賠訴訟・最高裁判決より)というものです。

 しかし、裁判に対する国家賠償請求訴訟を厳しく制限したり、誤った判断をなした裁判官をかばうような内容は、国家賠償法条文には全く書いてありません。すべて、裁判所が独自に解釈しているものなのです。このような解釈を許してよいのでしょうか。

●市民の声を裁判に反映させるには

 日本の裁判官制度は、欧米諸国と比較するときわめて異質なものです。アメリカの州の多くは裁判官を市民の選挙で選んでいます。イギリスではバリスターの中の選ばれた人物が裁判官に選任されます。ドイツやフランスの裁判官は、キャリアシステムですが労働組合があるなど、その市民的自由の保障は日本とは歴然とした差があります。しかも陪審制ないし参審制です。つまり、これらの国では裁判官に対する市民的チェックや裁判官の感覚や思考に対して市民が直接的に働きかけることが制度として保障されています。

 このような制度的保障のない日本の官僚裁判官に対し、法の原則に忠実な裁判を実行させるには、どうすべきなのでしょうか。法が定める行為規範を大きく逸脱した裁判官や検察官をそのまま放置して、法の正しい運用は実現できるのでしょうか。警察や検察官のズサンな捜査をチェックし、誤判を防ぐにはどうしたらいいのでしょうか。

 司法をめぐるこうした課題に対して、「市民の声を権力機関に直接反映させ、公務の適正を確保する」という機能をもつ国家賠償法の活用は、今日大きな意義をもっているといえるでしょう。