遠藤国賠パンフレット

被告の主張とそれへの反論
 

 
【被告の主張とそれへの反論】

 これに対して被告はどのように主張しているのでしょうか。主張の内容とその問題点を見ていきましょう。

その1《本件検察官の責任について》

 被告国は、「本件検察官が遠藤さんを起訴するについては、有罪を示す相応の証拠があったのだから責任はない」といっています。その根拠とは、

(1)「バスの運転手は、ひかれた後の被害者を寝ているものと見間違った」と考えた。
(2)「夜間の5分間の検問では、タイヤの血痕を見落とすこともありえる」と考えた。
(3)「遠藤さんの警察官に対する供述調書で十分だ」と考えた。
 これによると国の主張は、検察官が「考えた」こと自体が有罪を示す証拠だとしています。「考えた」というのは、すべて検察官の想像にほかなりません。想像したこと根拠をにして起訴した検察官に責任はないというわけです。

 しかし問われているのは、検察官が有罪と「考えた」なら、その判断を裏付ける客観的な証拠とはいったい何なのか、どこにあったのかということです。私たちが主張しているのは、そのような「考え」を裏付ける証拠がないのに、短絡的に有罪と「考えた」こと自体が誤りなのだということです。

 無罪を裏付ける数多くの証拠を無視し、他方、証拠に基づかない想像を根拠にして起訴に持ち込むようなことは、検察官として絶対あってはならないことです。にもかかわらず、「考えた」という相応の根拠があるのだから検察官の責任はないとする被告国の弁解は理由になりません。

その2《本件裁判官の責任について》

 被告国は、裁判官の有罪とした認定にも、相応の根拠があるとしています。裁判官には、証拠の選択や事実の認定に自由心証主義が適用されるので、最高裁と異なった判断をしたというだけでは違法にならないと主張します。裁判官が変われば事実の認定も変わる。証拠について、どのような心証を持とうが、個々の裁判官の自由が法律で認められているのだから、違法ではないというのです。

 また、裁判の違法を理由とした国家賠償については、それが認められるのは、裁判官が「違法不当な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したという特別の事情」が必要だと主張します。

 しかし、無罪を証明する数多くの証拠を無視して、有罪判決を強引に下すようなことは、もはや裁判などというものではありません。それ自体が、裁判官がその付与された趣旨に明らかに背いて権限を行使したものと言わなければなりません。

 遠藤さんに判決を言い渡した一審・二審の裁判官は、まともな裁判官なら絶対にしないような無理に無理を重ねて有罪にしたのです。最高裁も、きわめて異例なことですがそれを認めています。責任の所在は、すでに明らかなのです。

その3《被告個人の主張について》

 公務員は個人的には責任を負わないのが最高裁の判例だと被告は主張しています。

 しかし、公務員の個人責任を免除する法律はありません。私立学校の教師は個人責任を負うが、公立学校の教師は負わないというのは、公務員を特権階級にするもので、法のもとの平等に反します。民法七〇九条にも、公務員を除くという除外規定はありません。故意または過失によって違法に他人に損害を加えたときは、民間、公務員の区別なく、責任を負うのが原則です。

 特に、本件のごとく、ズサンきわまりない起訴をした検察官、常識をはるかに超える異常な事実認定と訴訟指揮を重ねて遠藤さんを有罪とした裁判官らについては、当然、個人責任が間われなければならないのです。