遠藤国賠パンフレット

遠藤さんはなぜ有罪にされたか
 

 
 無実の罪を着せられ落胆した青年は、それでも裁判にひとすじの光明を見いだして法廷で闘うが、信じられないことに裁判官もまた遠藤さんの無実を裏付ける証拠を無視し、事実を無視し、青年を有罪ときめつけたのだ。このずさんな裁判を正すために、14年もの歳月が費やされた。

●予断にもとづいた「暗黒裁判」

 警察から津川町事故の轢き逃げ犯人と「断定」された遠藤さんですが、昭和50年の暮れに起こった事件に対し、1年以上も後の昭和52年2月になって新潟地裁に起訴されます。しかも罪名は、「業務上過失致死」のみ。通常櫟き逃げ犯人に課せられる「道路交通法(負傷者救護義務)違反」の記載はどこにも見当たらないという不自然さでした。

 当然、遠藤さんは無罪を主張して争います。起訴記録を読んだ阿部泰雄弁護人は、轢き逃げが遠藤さんの後続車による可能性が極めて高いことを知り、

(1) 遠藤車のタイヤのシミは人血であるか
(2) タイヤのシミの付き方が、被害状況との関係で合理的に説明できるか
(3) シミが人血であるとの証明がないのに、人血であると誘導して得た遠藤さんの「自白」に信用性があるか
(4) 遠藤さんのアリバイ(関係者の証言によれば、事故は遠藤さんのトラックが現場を通過した後に起きている)
などを争点として、弁護にあたりました。

 弁護人は、ずさんな捜査を雄弁に物語るいくつもの矛盾点を、法廷で追及します。新潟地裁での第一審裁判は昭和52年から57年の足かけ6年にも及び、各種の鑑定結果や証言により、遠藤さんは無罪に一歩一歩近づいていったかに見えました。しかし弁護人は、裁判官の訴訟指揮に少なからず危倶を覚えていたのです。検察側の主張に寄り添った証拠採用があまりにも露骨だったからです。遠藤さんと弁護人は、一度は「裁判官忌避」の申し立てさえした(昭和55年4月)ほどです。そして昭和57年9月、第32回公判において判決が言い渡されました。主文は「禁固六月、執行猶予二年」、有罪の判決でした。

 宮嶋英世裁判長と若原正樹、出田孝一両陪席裁判官は、弁護側の主張を全面的に退けたばかりか、検察官による公訴事実さえも無視して遠藤さんのアリバイを崩し、「遠藤有罪」の予断に満ちた、不合理極まりない判決を下したのです

●泣き寝入りすることはできない!

 公正であるはずの裁判官までもが、真実を無視し、罪なき者に汚名を着せようとしている---遠藤さんはまさに『真昼の暗黒』を見た思いでした。「執行猶予が付いているのだから、判決を受け入れれば元のような平穏な生活に戻れる。裁判費用もかさみ、借金も増えているから・・・・・」、遠藤さんがそう考えて泣き寝入りしたとしても、だれもそれを責めることはできないでしょう。しかし、遠藤さんはこの不条理を正す闘いを続けようと決意しました。

 昭和58年1月、遠藤さんと弁護人は東京高等裁判所に控訴。第一審のずさんさを正し、事実を事実として認める公明正大な審理に望みをたくしました。そして迎えた判決の日、昭和59年4月12日の東京高裁で、遠藤さんはまたしても耳を疑うような裁判長の声を聞いたのです。山本茂裁判長は「本件控訴を棄却する」との判決を言い渡しました。驚きを通り越し、こみ上げる怒りをこらえられなくなった遠藤さんは、退廷しようとする裁判官らの背中に叫びました。「私は轢いていません!裁判所がどう言おうと私は轢いていないのです!」

●最高裁で無罪の判決は出たが・・・・・

 遠藤さんと弁護人は、高裁の判決を受けて、ただちに最高裁に上告を申し立てました。以来4年、遠藤さんは無罪を訴えて全国を歩き、〈公正裁判を求める要請署名〉累計214,122名分の署名を最高裁に提出しました。そしてようやく最高裁での審理が始まり、異例の口頭弁論が行なわれることになったのです。

 平成元年4月21日、遠藤さんが一纏の望み、そして最後の望みを託した最高裁の判決が出ました。

 「原判決(高裁判決)および第一審判決を破棄する。被告人は無罪」最高裁は、一、二審裁判所と同一の証拠にもとづき、全員一致で無罪を言い渡したのです。昭和50年12月の事件発生・取り調べ以来、実に13年半近くの歳月が経っていました。この間遠藤さんは、結婚もせず、喜びや楽しみも忘れて、全生活を裁判に捧げてきました。輝かしい青春期を奪われ、苦しみに耐える日々を送ってきたのです。

 いま、晴れて無罪をかちとったとはいえ、遠藤さんが失ったものはあまりにも多く、また大きいと言わねばなりません。13年の月日はもう取り戻すことができないのです。この長期間の痛苦の代償が、最高裁の「無罪」の一言のみだとしたら、それはあまりにも恐ろしいことではないでしょうか。

最高裁前に立つ遠藤さん(右)と阿部弁護人(左)
最高裁前に立つ遠藤さん(右)と阿部弁護人(左)

 かりに轢き逃げの嫌疑がかかったのは不運としてあきらめたとしても、非常識な捜査がなければ・・・・・、強引な起訴がなければ・・・・・、そして事実を事実として認める公正で科学に忠実な裁判が行なわれていれば・・・・・、遠藤さんは、こんなにも長い間精神的にも、また経済的にも苦しまずにすんだでしょう。その意味でも、警察と司法の責任は極めて重大です。こうしたずさんな起訴や審理を一つでも少なくしてもらいたい、二度と繰り返さないでほしいとの願いから、平成3年1月、遠藤さんは国および裁判官6名と起訴検察官の個人責任を追及する国家賠償訴訟を提起しました。現在、東京地方裁判所で係属中のこの「遠藤国賠訴訟」に、ぜひ目を注いていただきたいと思います。