遠藤国賠パンフレット

ある日突然「轢き逃げ犯人」に
 

 
 東北の静かな町で平穏な日々を送っていた20歳の青年に、突然〈轢き逃げ犯人〉の容疑がかけられた。

 もちろん、青年の身に覚えはなく、実際に「犯人ではない」ことを示すいくつもの証拠があった。しかしそれでも、検察官は予断と偏見を持って強引に青年を起訴する。まるで悪い夢でも見ているようだった。

 遠藤さんがなぜ「轢き逃げ犯人」とされてしまったのか、まず事件の概要をふりかえってみましょう。

1975年(昭和50年)

▼12月20日

 午後9時25分頃、新潟県蒲原郡津川町の国道で轢き逃げ死亡事故発生。轢かれた人は隣町の建設作業員で、飲食店で知り合いと酒を飲んだ後、津川駅に向かう途中だった。この人は泥酔状態で、事故の数分前に国道の中央で寝込んでいるのを、バスとタクシーの運転手が目撃している。その時は明らかに事故以前の状態で、この後事故第一発見者となる中川氏が現場にさしかかった時点で、頭と胸を轢かれ、無残な死体となっていた。

事件発生地点
事件発生地点

 轢き逃げ事故が発生した時、遠藤さんは津川町市街地を抜けたあたりを会津若松方面へ向かって走っていた。事故発生からおよそ30分後には、事故現場を中心に緊急検問が実施され、9時55分頃、遠藤さんも福島県西会津町の喜多方警察署西会津派出所前で、2人の警官による検問を受けている。

 轢き逃げ事故に伴う緊急検問は、通常の検間と異なり、車体各部の入念な見分が行なわれる。この見分で遠藤さんのトラックは「異状なし」として、通過を許されている。遠藤さんは一路岩沼市をめざして車を走らせ、翌21日の日曜日は家族と釣りをして休日を楽しんだ。

▼12月22日

 仕事場である「日本防火ライト工業」へ出勤すると、会社には「新潟の事故のことで車を見たい」との連絡が警察から入っていた。そのため上司や同僚たちは、遠藤さんとトラックが到着すると、すぐにトラックを取り囲んで車体をすみずみまで点検した。岩沼署からかけつけた2人の警察官も一緒になり、トラックをくまなく調べたが何の異状も指摘されなかった。

 2人の警官はいったん署に引き上げるが、まもなく別の警官2人がやってきて、「新潟県警から明日車を見に来るので、岩沼署まで車を運んでほしい」と言われたため、警官1人を同乗させ、遠藤さん自身が運転して4キロほど離れた岩沼署まで車を運んだ。

 岩沼署に着くと「少し早いが食事をしてきてほしい」と言われた。遠藤さんは「車を運ぶだけではないのか」といぶかりながらも、近くの食堂まで行って食事をとった。岩沼署に戻ると、「車の見分をするから立ち合え」とのことだった。言われるままに遠藤さんがぼんやりと見分作業を見ていると、「オイ、このシミは何だ」と鋭い声が飛んできた。見ると、右後輪タイヤの側面に、先刻「日本防火ライト工業」を出発するまでまったく指摘されなかった19×20センチ大の黒いシミが、まさに突如として付着していたのである。

遠藤さんが食事から戻ってきた直後に発見されたタイヤのシミ
遠藤さんが食事から戻ってきた直後に発見されたタイヤのシミ

▼12月23日

 朝から「本格的な見分」として、新潟県警の技術吏員ら4名を中心にした車体調べにより、車体の各部から血液、毛髪、皮膚片らしきものといった付着物が次々に〈発見〉されていった。その模様を呆然とながめていた遠藤さんは、引き続き取り調べを受け、「タイヤのシミは人血だ」と告げられる。

 警官たちは、遠藤さんを轢き逃げ犯人ときめつけたかのように取り調べを進め、あたかも遠藤さんがもうろうとしてトラックを運転し、自分の轢き逃げに気づかぬまま通り過ぎたとするでたらめな「自白調書」を作りあげてしまった。遠藤さんがあわてて調書の訂正を求めても、警官は威圧的な態度でこれに応じない。これによって、不合理で、非人間的な〈冤罪〉が、また一つでっち上げられることになった。

見分時の遠藤さん
シミを指差す姿で、写真を取られている
見分時の遠藤さん

▼12月24日

 遠藤さんに対する轢き逃げ容疑での取り調べは続き、この日は津川町の実況見分に連れていかれた。依然として警官たちの強引な態度は変わらず、遠藤さんの意思に反する供述調書がどんどん作られていった。しかもこの時は、遠藤さんに不利なように書いた調書を、取調官は正しく遠藤さんに読み聞かせず署名捺印させるという違法行為さえ行なっている。まだ20歳の遠藤さんは、そこまで警察が信用できないものだとは考えてもみず、また、調書を読み聞かせてほしいと要求するなど、思いもよらないことだった。

◇◇◇

 タイヤのシミの発見の不自然さや、調書を勝手に作る警官の態度に、「何かおかしい」と感じてはいた遠藤さんでしたが、「警察が間違ったことをするわけがない」、「きちんと調べれば、自分が轢いていないことがはっきりするのだから」との思いは変わりませんでした。ところがその信頼はずさんな起訴によって裏切られ、なおかつ裁判所への信頼もでたらめな判決によって裏切られることになります。公正な警察、公正な裁判所という常識が、あっけなく崩れていったのです。